喪失。
喪失。 本文
夢と現実のはざまに、いつも聞こえる音がある。この音が聞こえると、私は「ああ、そろそろ起きなきゃ」と思う。隣で眠っている夫のぬくもりが、特に冬は離れがたくても。その音が遠くから聞こえはじめ、だんだんと近づいてきたなと認識すれば、起きないわけにはいかない。朝だから。
音が近づいてくるというのはもちろん比喩で、自分の意識が段階を踏んで覚醒しているがゆえの錯覚。でも確かに、その音はいつも遠くから聞こえ始めてだんだんと私に近づいてくる。初めてこの家に泊まった次の日の朝から約三〇年間、もちろん毎日ではないが、私はこの音で目が覚める日が多かった。
今日もコトリコトリと音がしている。
「ああ、そろそろ起きなきゃね……」
と今日も思う。
ああ、そうか……利き腕をなくしてしばらくはなにもしなかった彼女は、けれどなにもせずにはおれなかったのだろう。いつしかまたそれをやるようになって。でも以前のような早さではなくなって。
軽快なリズムを刻んでいたその音は、今はコトリコトリとゆっくりだけれど、規則正しいリズムを刻む。
コトリコトリ……
コトリコトリ……。
――違うわ。
コトリコトリ……
コトリコトリ……。
――違う。
私は跳ね起きた。
夫が横で寝ていたが、彼を気遣う余裕はない。
コトリコトリ……
コトリコトリ……。
よく聞けば、音は間違いなく下からではあるが、台所からではなかった。
音の出所は、外。
縁側のむこう。
――ああ、そうか……。
私は思い出した。
彼女が晩年、使わなくなったプラスチック製の重箱を、縁側の外にある木台の上に置き、毎朝そこに鶏用の配合飼料を一握り入れて、やってくる雀や野鳥を眺めては目を細めていたことを。
最晩年には、私たちが寝ている時間に起きて絵を描いていたり、体そのものが本人の意思に反して思うようには動かなくなっていったので、この仕事はだんだんと間遠くなり、やがて止めてしまったのだった。
だが、ごくごく小さくはあるが、この世界はうまく回っているもので。気がつけば、三人の子供たちがこの仕事を引き継いでいて、小鳥たちはほどなくまた我が家の庭にやってくるようになった。そうなると今度は、私や夫も気が向けば小鳥たちのために箱に餌をいれてやったりし始め、もちろん彼女が亡くなった現在も、彼女がはじめた小さな事業は継続されていて、ちょっとした住宅地の中なのに、絶え間なく小鳥たちがやってくる。
その小鳥たちが、餌をほとんど食べてしまったのだろう。プラスチックの箱底をコツコツと突いて餌くずを拾っている。その音だったようだ。
――なんてことなの。貴ちゃんが台所で包丁を使ってる音と間違うなんて。
亡くなったのに。
もう、三ヶ月も前に。
時計を見れば、貴ちゃんの包丁の音で目が覚めていた時間よりもずっと早い時間で。
そのことも相まって、私は少し滅入ってしまった。
――受け入れられないのかしら……?
彼女が亡くなったということが。
――そろそろ百箇日じゃないの。
自分に言い聞かせてみても、勘違いをしたことは紛れもない事実で。
……。
…………。
母屋にある彼女の部屋を、時間を見繕っては片付けている。もともとは本人が片付けようとして時間が経ち、自力での階段の上り下りが困難になって作業が止まってしいまったのを、彼女の没後、私が引き継いで片付けている。
彼女がこの部屋を片付けようとしていたのは他でもない。末子の長女が、あと二年もすれば中学生になるから自分だけの部屋が欲しかろうと、数年前に、二〇年来ほとんど使っていなかった自身の部屋を明け渡そうと、手を付け始めたのである。
長女の中学入学には間に合わなかったが、彼女の遺志はかなえてやりたい。来年春がくれば、長女も中学二年生になり、早ければ夏過ぎから受験に備え始めるだろうから、できるだけ早くに明け渡してやるほうがいいだろう。
しかし、作業は遅々として進まない。
忙しいというのは言い訳で、そもそも彼女の部屋には無駄な物が一切ない。
必要な物は彼女が“あずまや”にほとんど持ち込んでおり、それ以外の物は手当たり次第容赦なく廃棄処分していたからだ。
しかし進まない。
つまりは、だ。
彼女の死を、彼女がいなくなった事実を、私はまだ受け入れられずにいる。
勘違いもそう。片付けが進まないのもそう。
受け入れられないで、いる。
だが、それでは困る。
彼女の部屋からなにもかもを出してしまおう。
作業途中に彼女との思い出に浸ってもいいから。
そうすることで、私は喪失を、彼女がいないという事実を、だんだんと受け入れていく。
きっと
きっと……。