オリジナル格納庫

ある意味、カオスの巣窟。

あの桜並木の下で 小品集 時間外

メルボルンの息子

メルボルンの息子 本文

…そして、さらに後日談。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
○柳原グループ本社 正面玄関受付。
用事を済ませて帰社した東郷が正面玄関から入ると、
受付のところで若い男(安物のスーツ着用。あまり着慣れていない様子)が
なにやら受付嬢と揉めている。
東郷
……ん?
あれは……。

 

東郷には見覚えがある若者。
急ぎ受付に足を運び、若者に声をかける。
東郷
君、保科さんの息子さんじゃないかね

 

若い男
ああ? 誰だい、あんた。

 

受付嬢、あからさまにほっとした顔。
東郷
(受付嬢に)どうしたんだね?

 

受付嬢
はい……この方が、会長にお会いしたいと。

 

東郷
……ほう?
 (若い男に)アポはとっているかい?

 

若い男
そんもん、とってねーよ。

 

東郷
だろうな。

 

若い男
なんだよッおっさん。アンタ誰なんだよ!

 

東郷
私は会長の秘書だよ。東郷と言う。君がアポを取っているなら、私が知らないはずはない。
……で? 君は保科太朗くんじゃないのか?

 

若い男
……そうだけど。

 

東郷
君も二十歳(はたち)をとうに過ぎているなら、社会のルールは守ってもらおうか?
とりあえず身なりは整えてきたようだが?

 

若い男
(以下、太朗)……。

 

東郷
今日は出直しなさい。用件だけは聞こう。アポイントメントはせめて3日前に取ってくれ。
会長は忙しいのでね。

 

太朗
かならず会えるんだろうな?

 

東郷
保科さんの息子さんが、わざわざオーストラリアから会いに来たんだ。善処しよう。

 

太朗
……わーったよ。

 

東郷
……で、用件は?

 

太朗
柳原秋子に訊きたいことがあってきた。

 

東郷
……。それは何だい?

 

太朗
“親父”はどこだ? “親父”に会いに来たんだよ。

 

東郷
……親……父……?

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
○会長室
東郷が秋子に、事の次第を伝えている。
東郷
――ということですが。

 

秋子
……そう。わかりました。
太朗くんの連絡先は?

 

東郷
はい。こちらです(メモを秋子に差し出す)

 

秋子
(メモを受け取って読む)……ホテルを取ってるでしょうけど、早いほうが良いわね。
今夜、柳原の本邸で会いましょう。
私から一度連絡してそう言うから、もう一度あなたから連絡して、連れてきてくれるかしら?

 

東郷
よろしいのですか? 今日は岩下家(本宅)のほうで……。

 

秋子
終わって、太朗が了承するなら、連れて行きます。タカくんトモくんとは仲が良いのよ。

 

東郷
承知致しました。

 

秋子
……友ちゃんにも、連絡しておかないとね。ゴハン、ごめんなさいって。

 

秋子、小さくため息を漏らす。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
○柳原本邸。
太朗、東郷に連れられて柳原の本邸入る。
先ほどのスーツではなく、彼の普段着(いわゆるヒップホップ系)に戻っている。
柳原本邸の大きさに驚きを隠せないでいる模様。
東郷
(厚いオークの扉の前で立ち止まり)この向こうだ。

 

太朗
アンタは入らないのかよ?

 

東郷
個人的な来客だからね。

 

太朗
ふーん……。

 

東郷
しかし、すぐ控えにはいる。何かあったら呼んでくれ。会長もそうなさる。

 

太朗
(肩をすくめて、ドアノブに手をかける)……っと……

 

太朗、思い出したように扉をノックして、東郷のほうを見る。
東郷は頷いて、中にはいるよう促す。
太朗、ノブを握って、ドアを引き開ける。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
○柳原本邸。来客を通す部屋の一つ。
秋子
いらっしゃい。太朗くん。……大きくなったわね。

 

中で、秋子が立って太朗を迎える。
その直前まで丸テーブルに付属しているイスに座っていたらしく。
自分の対岸のイスを指さす。
秋子
こちらに座って。

 

太朗
ちっす。……秋子小母さん。

 

秋子
元気してた?

 

太朗
……まぁね。

 

秋子
あなたが来た理由は分かってるわ。……貴ちゃんでしょう?

 

太朗
おう。“親父”はどこだよ? あいつ、ぶん殴ってやんないと俺の気が済まねぇ。

 

秋子
何かあったの?
……とにかく、お掛けなさい。お茶が来るから。

 

太朗
茶なんか飲んでられっかよ。

 

秋子
……落ち着いて頂戴。

 

太朗
……。

 

秋子
……。

 

太朗
……。

 

秋子
……太朗?

 

太朗
……分かったよ。

 

太朗が渋々と秋子が指し示したイスに座ると、ほどなくもうひとつの扉が開いて、東郷がお茶を持ってくる。
東郷はお茶のセットを一式テーブルの上に置くと、そのまま無言で一礼して部屋を出て行く。
太朗
(出て行く東郷を見送って)……こけおどしだよなぁ……。

 

秋子
そんなつもりはないのだけどね(茶器を取って、2つのカップに紅茶を入れる)

 

太朗
秋子小母さんは感じないかもしれないけどさ、俺らみたいのにとっては、こけおどし以外のなにもんでもないよ。
……何食ったらあんなにでかくなるんだー?

 

秋子
……(微笑して太朗の前にカップを置く)。

 

太朗
……いただきます。

 

秋子
はい、どうぞ。

 

太朗
……家みてぇ……。

 

秋子
(小さく「ぷ」と吹き出す)

 

太朗、秋子の淹れたお茶をゆっくり飲む。
太朗
……美味ぇ。……親父の味と同じだぁ。

 

秋子
貴ちゃん仕込みだもの。

 

太朗
秋子小母さんは料理とかしないのか?

 

秋子
するわよ。今日もする予定だったわ。

 

太朗
この家で?

 

秋子
いいえ。岩下の家でね。
今日は早く帰れる予定だったから、久しぶりに私が作るつもりだったの、夕飯を。

 

太朗
……それは……悪かった。

 

秋子
ふふ……大丈夫よ、みんなドタキャンは慣れているからね。
ところで、この用が済んだら、あちらの家に行かない? 
主人……お父さんかお兄ちゃんたちの手料理だけど、ご馳走するわよ?

 

太朗
……ん……いや、いい……。

 

秋子
そう? タカくんとトモくんにはあなたが来ているって言ってるから、遊びに来てくれたら喜ぶと思うんだけど?

 

太朗
……。

 

秋子
(肩をすくめる)お好きになさい。ホテルに帰るなら東郷さんが送ってくれるから。
……。
話が途中だったわね。貴ちゃんに会いに来たの?

 

太朗
ああ。

 

秋子
何を、貴ちゃんに対して怒っているのかしら?

 

太朗
ふた月前さ、いきなり日本に行ったと思ったら、帰ってきてえっらい落ち込んでるんだよ。

 

秋子
カホリさん?

 

太朗
他に誰がいるよ?

 

秋子
……そう。

 

太朗
日本に行って落ち込んで帰ってくるのって、“親父”が原因だろ?
あいつ、自分勝手だから。

 

秋子
そうね。

 

太朗
母さんが……可哀相じゃんよ。ケンカするとか別れるとか…
…いろいろ好いたもん同士の事情があるかもしんないけどさ、
もっとなんかこう……やり方とかあるんじゃねぇの? いい歳した大人なんだしさ。

 

秋子
……そうね。
でも太朗? 時にはどうしようもないこともあるのよ。それは知ってる?

 

太朗
なんだよ、それ?

 

秋子
……。

 

太朗
小母さん?

 

秋子
太朗 、あなたに渡したいものがあるの。
カホリさんと……貴ちゃんから。

 

太朗
??

 

秋子
あなたが、これの価値が解るなら、持って帰りなさい。

 

秋子、立ち上がって部屋の角に向かう。
その先には布をかけられたイーゼルが一脚立っている。
イーゼルにはあまり大きくないと思われる絵が一枚置いてあるようだ。
秋子は、布ごとキャンパスを取り上げ、テーブルのところに戻る。
キャンパスをテーブルに置くと、布を静かに取る。
太朗
(思わず立ち上がって)……これ……。

 

秋子
岩下貴子の遺作――Posthumous work――。『母子像』よ。

 

太朗
Posth……いさく……て……?

 

秋子
亡くなったの。二ヶ月前に。

 

太朗
……マジかよ?

 

秋子
……本当よ。

 

太朗
母さん、何も言わなかったぜ? “親父”が死んだなんて、ひとっ言も。

 

秋子
それは驚いたわ。私はもうあなたも知ってるって思ってた。

 

太朗
(どさっとイスに身を落とす)……ひっでぇ……俺だけみそっかすかよー……。

 

秋子
……まだ、気持ちの整理ができていないのかもね、カホリさん。それとも……

 

太朗
……?

 

秋子
あなたがここに乗り込むことを見越して、あえて黙ってたか。

 

太朗
……そっちの気がしてきた。食えない女だからな、我が母ながら。

 

秋子
(苦笑)……実はね、これと対になってるんじゃないかってものも見つかったの。

 

太朗
まだ何か出てくるのかよー?(毒気を抜かれてややぐったりしている)

 

秋子
こっちは遺作にもならないわ。途中で投げ出しちゃったみたいだから。

 

太朗
そりゃー捨てなきゃ。親父、中途半端なものが人目につくの、すげーイヤじゃん。

 

秋子
そう思ったんだけど……わざわざ残してあったみたいで。

 

秋子、テーブルの下から古ぼけた段ボール箱を引っ張り出す。
やや重そうに扱っていると、太朗がするりと立って秋子を手伝う。
太朗
……えーと、テーブルに載せていいのか?

 

秋子
ええ。

 

太朗
こんな小汚い箱載せるの、気が引けるなー。

 

秋子
洗えば良いんだから、遠慮しないで(くすくすと笑う)

 

テーブルの上に置かれた段ボールを開き、中からブロンズのようなものを取り出す。
高さは30~40cm。ブロンズの固まりに様々な金属片やボルト類が突き刺してあるだけの、がらくたにしか見えないが……
太朗
……相変わらず“親父”の作るブツは理解できないよ、俺には。

 

秋子
そう? これも『母子像』ね。たぶん。

 

太朗
その根拠はー?

 

秋子
……ほら、この角度から見ると……

 

秋子がこの奇妙な立体物をくるりと回して、先ほどの絵と並べる。
太朗
……あー……!

 

秋子
……ね?

 

とある角度になると、絵と立体物はほぼ同じの形になった。
太朗
わっかんねー!! 前衛ゲージュツってヤツぁ、ホンットにわからねぇ!!

 

秋子
絵が習作なのかもね。……あるいは、習作として描いたものの上に絵の具をのせたか。
どちらにしても、これを作ろうとして挫折したんだと思う。

 

太朗
“親父”、絵よりも彫刻とかのほうだもんなー。

 

秋子
ええ、そうなのよ。
でも、利き手を失ってから立体ものはほとんどやらなかったから……本人はとても苦しかったんじゃないかしら?
絵すらも、それまでの早さでは描けなくなっていたし。

 

太朗
……。

 

秋子
じっくりじっくり、何十倍もの時間をかけて描いていたけど、
時にはなにもかも外に投げ捨ててあったりしてたから。

 

太朗
……。
俺もさ、踊れなくなんのは怖いよ。
練習中やら本番やらで事故ってやっちゃって、首から下動かなくなったヤツとか見てるけど。
そうなったら怖ぇぇなぁ、自分なら生きてらんねぇ……とかって思うよ。

 

秋子
もし、病気がじわじわと自分の体を蝕んで、だんだんと体が動かなくなっていくとしたら、あなたはどう考えるかしら?

 

太朗
……んー……。

 

秋子
もし、例えば足を早々に切り落とすことで、命だけは長らえるとしたら……あなたはどう考える?

 

太朗
……。
小母さんはどうなんだよ?

 

秋子
私は、あなたたちのように芸術方面で身を立てているわけではないので、答えは簡単なのよ。

 

太朗
切っちゃうんだ?

 

秋子
ええ、そうね。
まずは自分が存(ながら)えることが、先決だもの。

 

太朗
レーゾンデートル……存在意義……ってヤツかー。

 

秋子
ええ。

 

太朗
俺は……その時になってみないとわかんねー。
誰かずっと一緒にいたいと思う人か守りたいって思う人がいるんだったら、さっさと切って長生きする方を選ぶかもな。
でも今みたくひとりでブラブラしてるだけなら、踊れなくなるのは死ぬことと一緒だって思うかも。
そうだったら、生きながらえる意味がねーから、そのままギリギリまで踊る方を選ぶな。……たぶん。

 

秋子
……貴ちゃんの息子ねぇ。

 

太朗
ああん?

 

秋子
安心したわ。

 

太朗
迷惑だ。

 

秋子
あら? “親父”って呼んでるのはどなた?

 

太朗
“親父”ってのは、越えるべき存在なんだよっ。
あいつと母さんがヤって俺が生まれたワケじゃないってくらい、充分わかってら。
もう子供じゃねーんだから。

 

秋子
ふふふ。それはそれで面白いと、私は思うけどね。

 

太朗
秋子小母さん、怖ぇぇこと言うなぁ。

 

秋子
……ふふふ。

 

太朗
(頭をガリガリと掻きながら)大人が真面目に冗談言うと、怖えぇんだよっ。

 

----------------------
秋子
(キャンバスを裏返して)ここに……あなたの名前が書いてあるの。

 

太朗
(覗きこんで)うん?

 

秋子
Hoshina Tarou……。履歴なのよ、これは。

 

太朗
履歴?

 

秋子
ええ、この絵が誰の手に渡っていったかの記録。
絵はね、裏に履歴を書く場合があるの。所有者が自分の名前を記す場合と、贈呈者が送る相手の名前を記す場合と。
履歴が判明している絵の裏には、そうやって所有者の名前が年代と共に書かれていたりするのよ。

 

太朗
ふーん。

 

秋子
貴ちゃんの直筆であなたの名前が入ってる。……ということは、これはあなたに送るつもりにしていた絵ということよ。

 

太朗
この数字はなんだろ?

 

秋子
たぶん、完成日ね。日付・サイン……Iwasita Takako……。

 

太朗
なんで、“親父”はファミリーネームのほうを先に書くんかね?

 

秋子
日本人だからじゃない?
彼女、数カ国語をしゃべれるクセに、読み書きってほとんどできないのよね。

 

太朗
ああ、それ知ってる。脳みその使い方があいつは偏ってるよな。
まったく、変なヤツだよな、“親父”さぁ。

 

秋子
……そんなワケで、この絵はあなたに権利があるわ。どうする? 持って帰る?

 

太朗
……んー……。

 

秋子
カホリさん……お母さんがね、あなたが『取りに来たら渡してやって』……って私に預けてたの。
まさかこんなに早く来るとは思ってなかったわ(くすくすと笑う)

 

太朗
……俺はしてやられたってわけじゃんか。

 

秋子
そう? (肩をすくめる)

 

太朗
……貰ってくよ。“親父”が俺にくれたものだしな。
帰って母さんにプレゼントしてやる(にやりと笑う)

 

秋子
あらあら……ぜひそうしてあげなさい。

 

太朗
小母さん、そっちのガラクタも貰ってって良いか?

 

秋子
どうぞ。

 

太朗
せっかくだ、Iwasita Takako の愚作としてこの世に残してやろう。
(ひひひ、と笑う。その姿が貴子そっくり)

 

秋子
あら残念。一世一代の愚作は、私が持っているわ。

 

太朗
ええ! そーなん!?

 

秋子
ええ。あっちの家にあるの。大きすぎてどうしようかしらって思ってるわ。

 

太朗
んー……じゃ、それ今から見にいって良いか? これとどっちが愚作か見比べたいじゃん?

 

太朗、悪戯っぽく秋子に目配せする。
秋子は太朗の言葉と目配せの意味にすぐに気がついた。
秋子
ええ、ぜひとも見にいらっしゃい。ついでにウチのやんちゃ坊たちに会ってって頂戴。
あ、下の子にも会って。

 

太朗
下の子? ……女の子だっけ?

 

秋子
そう。春花(ハルカ)って名前なの。……あの子も貴ちゃんの子供みたいな子だから。

 

太朗
おんやま。……じゃぁ、気が合うかな。

 

秋子
……じゃ、家に連絡しないと……(懐から携帯電話を出そうとする)

 

太朗
あ、タカかトモだったら俺に代わってくれよ。

 

秋子
(ピポパと押しながら)……はいはい、了解しました……あ、もしもし?……友ちゃん?
そろそろ帰るわね。(残念でした、と太朗に目配せする)
晩ご飯はどうしました? ……あ、まだ?……じゃ、お客さんをひとり連れて帰るから。ええ。……ええ。
……あらちょうど良かったわ。じゃ、途中で材料を買い足して帰るわね。……はい。はい。
……じゃ、またあとで。
(電話を切って、太朗に)今夜は鍋の予定だったから、まだ始めてないって。
帰りましょうか? あなたの“お父さん”の家に。

 

太朗
……うん。

 

秋子
今日は泊まる? 是非泊まってって。

 

太朗
あ、でもホテルが……。

 

秋子
じゃ、まずホテルを引き上げて、それから買い物ね。

 

太朗
強引だなぁ、相変わらず。

 

秋子
だって、貴ちゃんの義姉(あね)ですもの(ふっくらと笑う)

 

太朗
……お見それしました、姐さん……。

 

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