オリジナル格納庫

ある意味、カオスの巣窟。

あの桜並木の下で 小品集 後期

ワキの人たち・1

ワキの人たち・1 本文

 柳原家 所縁(ゆかり)の人たちのお話。
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○三枝木佐和子のマンション
佐和子 が帰宅した。
玄関の扉を開けてハイヒールを無造作に脱ぎ、上がり框に置いてあるスリッパを無視して
廊下を歩いていく。
歩いていく先はリビング。
部屋には明かりが灯っていて、廊下とリビングを隔てるガラス戸から明かりが漏れている。
ガラス戸の向こうにはレースの長暖簾が下がっていて、内部は見えない。
佐和子 はハンドバッグのストラップの中程を掴んでぶら下げている。
廊下が広ければ、回していそうな風情で、バッグを揺らしている。
○同、リビング。
佐和子 、リビングに入るなり、どこを見るわけでもなく喋りはじめる。
佐和子
ただいま。……もう寝てるかと思ってたわ。

 

佐和子 の声に応えるように、キッチンから年若い男がエプロン姿で出てくる。
まだ宵の口じゃないか。
そろそろ帰ってくる頃かなと思ってさ。
……ま、自分の夜食ついでだから気にしないでいいよ。

 

佐和子
(リビングのラグの上に座って、足を投げ出す)気にしちゃいないわよ。
……宵の口って、あんたにとっては、でしょう?

 

そうとも言うね。

 

佐和子
ふん。……ま、好きにするがいいわ。

 

……で? 食べる? それともダイエット中?

 

佐和子
ダイエットは体に悪い。そんなことするくらいなら、最初から気をつけて生活していればいいのよ。

 

ははは、その通りだね。で、どうするの?

 

佐和子
食べる。さすがに腹減った。医者はもとより体力勝負だけどね。

 

お疲れさま。じゃ、手を洗って来なよ。ついでに着替えてきたら?
服、シワになるよ。

 

佐和子
はいはーい。(立ち上がって洗面所へ向かう)

 

○同 洗面所。
洗面所兼脱衣所に置いてある洗濯機の上に、佐和子の着替えが一式置いてある。
佐和子
……ったく、誰に似たのかしらね?

 

(声)――えー? 母さんじゃないかな?(愉快そうに笑う声がする)

 

佐和子 、乱暴に着ていたスーツを脱ぐと脱衣カゴに放り込み、
用意してあるスエットを着込んでざばざばと顔を洗い、手を洗ってうがいもする。
佐和子
その上、地獄耳ときたもんだ。

 

乱暴にピアスを外して、洗面台に置いてあるシャーレの中に放り込む。
カチン、と硬い音が響く。
洗面所を出て、リビングに戻る。
○同、リビング
リビングに戻ると、カラスの座卓には夜食が並べられている。
丸っこい丼の中に入っているのは醤油ラーメンのようなもの。
佐和子
(所定の場所にどかっと座る)いつもながら、美味しそうね。……頂きます。

 

美味しそうじゃなくて、美味しいんだよ。
ついでに調理師免許も取ろうかな? 実務つけてやるから取れって、店長がうるさくてさ(笑う)

 

佐和子
バイト先の?

 

そう。

 

佐和子
取っておいたら? 食いっぱぐれはなくなるかもよ?
 ……何麺? コレ。

 

こんにゃく。

 

佐和子
私に配慮?

 

ううん、自分に配慮。ここのところ夜食付いているから。

 

佐和子
……そう言うときはね、嘘でも「そうです」って言っておくのがベターね。

 

佐和子 先生にそんなこと言っても鼻で笑われるだけじゃないか。

 

佐和子
……ホント、小憎たらしいわね。誰かみたい。

 

……その、「誰か」とデートだったんでしょ?

 

佐和子
ええ、そのとおり。みっちり3時間、ベッドの中でプロレスごっこよ。
疲れるったらありゃしない。

 

………。

 

佐和子
あら何? やきもち?

 

まさか。
あなたも大変だね。……で、何か分かった?

 

佐和子
守秘義務があるので、お答えできません。

 

僕から漏れることはないと思うけどな。どこにも接点ないし(苦笑する)

 

佐和子
接点があるとかないとか、そんなの関係ないわよ。職業的倫理ってヤツ。

 

倫理ねぇ……佐和子先生も持ってるんだ、そんなモノ。

 

佐和子
人と場合によるわね。

 

今回はどうなの?

 

佐和子
あまり高くはないわね。ヤツだし。

 

(苦笑する)……恐い恐い。

 

佐和子
……確かに、ちょっとおかしいわねぇ。

 

………。

 

佐和子
あれはかなり痛いはずなんだけど。本人ぜんぜんそんなそぶりを見せないのよね。

 

……彼女も頑固で強がりだから。

 

佐和子
そうじゃないのかも。

 

ん?

 

佐和子
本人は自覚してないんだけど、体は反応してるのよね。いきなり筋肉がこわばるように止まるから。
痛みに反応してるんだわ、きっと。

 

でも顔や行動に出ない……と。

 

佐和子
知覚がおかしくなってんのかも。あるいは相当我慢しているか。

 

我慢しすぎてそれが当たり前になってるとかは?

 

佐和子
それはほとんど考えられない症状だわね。
……そんなのを発見して体系立てられたら、ノーベル賞をもらえそう(肩をすくめる)

 

うーん……面白いと思ったんだけどな。

 

佐和子
私の患者なんだから、取らないで頂戴よ? 論文のネタにするのも禁止。
ちょっとは苦労するってことを憶えなさいね、アンタは。

 

この時点で普通の人とはちがう苦労をそれなりにしていると思うけどなぁ(笑う)

 

佐和子
いーや、アンタは私に比べて生ぬるいわよ。

 

あなたとは一緒にしないで下さいよ。

 

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佐和子
時に、アンタは国試、大丈夫なのかしら?
さっさと取ってね。そしたらすぐにインターンでこき使ってやるから。

 

それは恐いなぁ。でも、専攻が佐和子先生と違うからね。

 

佐和子
なんでもある程度は平均的にやるから、私の科の番になったら、憶えてらっしゃいよ?

 

覚悟しておきます(笑う)
……しかし、恐い人だよね、佐和子先生。

 

佐和子
……んー?

 

自分の欲望に正直だよね?

 

佐和子
そりゃー……ねぇ。三枝木の人間だもの。
もちろんワタシが辞めた後のコトなんて、どうなろうが知ったこっちゃないけど、
それでもまぁ自分とほぼ同じレールの上を歩いて行けて、さらに全速力でも
息が切れないことって、すごく大事だと思うのよね。
……違う?

 

それは……まぁ……ね。

 

佐和子
それにさ、私が定年退職しても、たぶんすぐには自分の居場所がなくなっちゃうじゃない?
それもちょっと嫌かな?

 

そんなことないでしょ? あなたが定年になったら、あちらもご隠居だ。

 

佐和子
どーだか? 欲深いのは私以上だからね、親父サマは。
欲深さが金の方だと楽なのに、名声ときたもんだからたちが悪いわ。

 

……あなたはどうなの?

 

佐和子
私? ……そーねぇ……。金とか名声とか、むしろどうでもいいわね。
ああいうものは、後から勝手についてくるモノだし。まともにやってればね。

 

まともにやってても、そういうモノに恵まれない人もいるでしょ?

 

佐和子
運がないだけ……という見方もあるけど、基本的に運も実力のうちだから。

 

……なるほど。勉強になった。

 

佐和子
アンタはどういう医者になりたいのか知らないけど、
……ま、不正をして捕まるようなことがなければ構わないわよ。

 

別に。学生の身分ではどうのこうのってまだないよね。

 

佐和子
あったほうが怖いわね。そしてそういうのはあとで使い物にならなくなるのよ。

 

それは体験談?

 

佐和子
まぁね。

 

スープだけ、お代わりあるけど?

 

佐和子
それよりも、コーヒー飲みたいわね?

 

はいはい。女王様の仰せのままに。

 

男は口角だけで笑い、トレーに食器類を載せて立ち上がると、キッチンに消える。
佐和子 、それを見送りながら、タバコに火を付ける。
佐和子
……だんだん小生意気になるわね。本当に誰に似たやら。

 

(声)伯母さんかもね(笑う)

 

佐和子
……本当に、小憎たらしいったら。

 

男、キッチンから出てきて、コーヒーを二つとガラスの灰皿をテーブルに置く。
佐和子
気味悪いくらい気が利くわよねぇ。アンタって。

 

大好きな佐和子先生のためだもの。

 

佐和子
そういう口は、もうちょっと大人の男になってから言いなさい(にやり、と笑う)

 

(苦笑する)
やっぱり、姉さんには敵いません(お手上げのポーズ)

 

佐和子
そりゃぁ、アンタのおしめ換えたんだから。当たり前よ(鼻先でふふんと笑う)

 

(コーヒーを無造作に飲み干す)……もうちょっと頑張るか。

 

佐和子
そうして頂戴。さっさと医者になって、私を楽にさせると良いわ。

 

……あそこに勤めないかもしれないよ?

 

佐和子
それもアンタの人生だからね。好きにしなさい。

 

“母さん”のように?

 

佐和子
(ぴくり、とわずかに眉を上げて)……ええ。美惠子のようにね。
……そうそう、明日は泊まりになるわ。

 

それはお疲れさまで。

 

佐和子
デートよ、ヤツと。

 

それは、お盛んなことで。

 

佐和子
妬いてくれるの?

 

(肩をすくめて)まさか。……主治医が患者を観察しているだけでしょ?

 

佐和子
ええ。この家に連れ込んでも良いんだけどね。ホテル代も馬鹿にならないし。

 

良いトコ使うから。

 

佐和子
お互いにそれなりの社会的地位があるからね。

 

佐和子先生ってば場末のホテルも好きなのにね。

 

佐和子
ヤツもそうみたいよ? でも最中に何かあったら大変だしね。

 

いろいろ大変だ。……僕、明日実家に帰ってようか?(笑う)

 

佐和子
いいわよ、変な気を回さなくても。

 

彼女がイヤなんじゃない?

 

佐和子
いてもいなくても一緒よ。鋭敏すぎる神経の持ち主と付き合うこと自体が体力勝負だもの。
よくもまぁ、ああいうのとほぼ毎日付き合っていられるもんだわ、柳原のお嬢は。
……ああ、片付け、私がやっとくから(手でしっし、と退室を促す)

 

……頼むから割らないでよ?

 

佐和子
……あんたね、私をなんだと思ってるの?

 

仕事一筋で目的のためには手段を選ばない、佐和子先生(笑う)

 

佐和子
覚えてらっしゃい(苦笑する)
……お休み、晃樹(コウキ)

 

晃樹
おやすみなさい。

 

男(晃樹)リビングから去る。
佐和子、一度キッチンへ行き、2杯目のコーヒーを持ってくる。
所定の位置に座ってテーブルにコーヒーを置き、ハンドバッグの中から手帳を出して見始める。
そこに何か書き込みつつ……。
佐和子
……さて、この事実。どうお嬢に伝えようか……。

 

頭をかかえる。
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