オリジナル格納庫

ある意味、カオスの巣窟。

あの桜並木の下で 小品集 時間外

紫陽花とコーヒー ~命の額装~

紫陽花とコーヒー ~命の額装~ 本文

○夜遅く 岩下本宅の居間。
秋子が居間で、ひとり新聞を読んでいる。
貴子が入り口からちょこっと顔を出す。
貴子
柳原ー? ……ああ、いたいた。ちょっといい?

 

秋子
(新聞から顔を上げて) なぁに?

 

貴子
手伝ってほしいんだけど。

 

秋子
……? ……何を?

 

貴子
額装。

 

秋子
額装?

 

― 暗 転 ―
○同 あずまや・貴子のアトリエ
秋子と貴子、アトリエに入る。
小さめの絵を描くのに使っている座卓(というか文机)の上に、水彩画が1枚。
机の足元、貴子が座る座椅子の横に額を入れた薄い箱。蓋は開いて、中身は見えている。
貴子、座椅子を引き机の前を広くしてから、座椅子の上の座布団を床に置き、自分は座椅子に座る。
秋子も貴子が置いた座布団を少し引いて、その上に座る。
(捕捉:貴子の座椅子は右の肘置きが常に下げられ、左は上げられている。
描いているうちに姿勢がゆがむので体を支えるためにそうしてある)
秋子
あら、紫陽花(あじさい)?

 

貴子
まあね。

 

秋子
珍しいわね、花を描くなんて。

 

貴子
頼まれものだし。

 

秋子
………(へぇ? という顔で貴子を見る)

 

貴子
そっちも珍しいと言いたいみたいね?

 

秋子
明日は雨でも降るのかしら?(笑う)

 

貴子
言ってろ……(まんざらでもないという顔で微笑む)

 

秋子
(面白そうに)何か裏があるのかしら?

 

貴子
まあね。……『tears(ティアーズ)』の小父さんとトレードなの。

 

秋子
商店街の角の喫茶店?

 

貴子
うん、そう。……子供の頃からのつき合いだから、お互いに断れなくってね。

 

秋子
何をワガママ言ったの?

 

貴子
べっつにー?

 

秋子
嘘おっしゃい。

 

貴子
……家でもコーヒーを淹れたいって言っただけ。

 

秋子
……で、これなの?

 

貴子
うん。そう。これで豆とフィルターは困らなくなりました(ふ、ふ、ふ…と笑う)
……でさ、アレも貰った。

 

貴子、部屋の外、キッチン(現在はただの水場)を指さす。
秋子、体を倒し首を伸ばして指された方を見る。
ガラスの引き戸は開いていて、テーブルの上にはこっそりと赤い物体(業務用のでっかいミル)。
秋子
……呆れた。高価なものでしょうに。……というか、自分で買えるでしょ?

 

貴子
以前、廃業した喫茶店から引き取ってきたんだって、
余ってるから持って行きなって(へへ、と笑う。とても嬉しそうに)
アレなら楽に豆が碾(ひ)けるからってさー。

 

秋子
変なところで貰い腰が強いわよねぇ。

 

貴子
……で、額はこれ。

 

床に置かれた箱を引き寄せる。
古い箱には古い額。どうやら額の大きさに合わせて絵を描いた模様。
秋子、その額を箱から取り出して、縁を撫でる。
秋子
ずいぶん古い額ね? でも、この絵を入れるとしっくりきそう。

 

貴子
………(微笑んでいる)

 

秋子
……さすがね。

 

貴子
 ……。
この額ね、ずいぶん昔に父さんが小父さんにプレゼントしたものなんだって。

 

秋子
………。

 

貴子
『tears』をあそこに開店したときに、父さんが「絵でも入れて飾れ」って言って、持ってきたらしいよ?
変な人だよねー。普通、額だけとか人にあげないよね。

 

秋子
……岩下貴子の変人ぶりは、御義父様に似たのかもしれないわね。

 

貴子
あ、ひどーい(笑う)

 

秋子
絵。

 

貴子
……ん?

 

秋子
もう乾いているの?

 

貴子
あ、……うん。乾いてから声かけたから。

 

秋子
私がやっていいのかしら?

 

貴子
額装は、柳原さんには敵いません。

 

秋子
……あまり嬉しくない褒め言葉ね。

 

貴子
絵ってのは、額に入れてはじめて完成するんだよ。
額のセンスとか入れ方で、絵が生きるも死ぬも決まっちゃうからね。

 

秋子
おべっかはいいから。

 

貴子
おべっかではありません。

 

秋子
テーブル、出していい?

 

貴子
どぞどぞー。……見てていい?

 

秋子
そのつもりで呼んだんでしょう?

 

貴子
はい。その通り(笑う)

 

○同 同部屋
アトリエの真ん中に作業用の大きな四角い座卓。
座卓の上には額と絵と、額装用の道具一式。
秋子が額装作業している。貴子は対岸でその様子を見ている。
貴子
(タバコを燻らせながら)いつもながら、惚れ惚れする手際の良さですなぁ。

 

秋子
褒めても何も出ないわよ?

 

貴子
うん、知ってる。だからさ、明日これ一緒に持って行かない? 休みでしょ?

 

秋子
……だから今夜なのか。

 

貴子
え? 何のこと?(「にしし」と笑う)

 

秋子
………。

 

貴子
コーヒーおごるし。

 

秋子
おごってくれるのは、あなたじゃないでしょ?

 

貴子
まぁまぁ、堅いことは言いっこなしで。
持って行ったら、豆と折ったフィルターと交換してくれるから、私がここで淹れてもいいわよ?

 

秋子
フィルター、折ったのをくれるの?

 

貴子
うん。……だから言ったでしょ? 「不自由しない」って。

 

秋子
……不思議とあなたは、年上の人に可愛がられているわねぇ。

 

貴子
これも、ワタクシの人徳です(笑う)

 

秋子
そういうコトにしときましょうかね。

 

貴子
へへへ……。

 

秋子
………。
良かったわね。

 

貴子
ん?

 

秋子
美味しいコーヒー、好きなだけ飲めるようになるから。

 

貴子
本当に美味しいのは、小父さんが淹れたヤツだけだけれどね。

 

秋子
まだ通うの?

 

貴子
もちろん。もらうのは、店が開いていない夜中とか用だから。

 

秋子
それが、いいわね。

 

貴子
うん。
……『アイ・ブレンド』は、小父さんが淹れたのでなくちゃ。

 

秋子
………。

 

貴子
私ではあの味は、出せないよ。

 

秋子
………。

 

貴子
小父さんと、父さんが作った味だもの。

 

秋子
………。
できたわよ。こんな感じで良いかしら?(貴子に見せる)

 

貴子
おー。さっすがー。
(額装されたものをしみじみと見て)……うん。命が籠もったね。

 

秋子
だって、命がけだもの。

 

貴子
………。

 

秋子
あなたが命をかけて描いたものだから。私も命かけて仕事しなくちゃ。

 

貴子
(目を細めてる)

 

秋子
明日、行きましょうね。

 

貴子
ん?

 

秋子
コーヒー、おごって頂戴。

 

貴子
うん。……もちろん。

 

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