オリジナル格納庫

ある意味、カオスの巣窟。

あの桜並木の下で 小品集 時間外

雨の朝に…

雨の朝に… 本文

一応シナリオ形式
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○柳原家敷地内移設された、岩下家本宅にあった“あずまや”
雨が降っている。“あずまや”の畳部屋でひとりたたずむ柳原春花(50代前半)
窓の外に降る雨を、アンニュイな面持ちで眺めている。
部屋の一角には小さなTV。朝のニュース番組が流れているが、音は小さく絞ってある。
番組を見るためではなく、時間を見るためにTVをつけているようだ。
この“あずまや”は、春花が柳原家を正式に継いでしばらく経ってからこの場所に移設された。
移設の際に大黒柱以外の骨組みは新規で作り、移設というよりはどちらかというと模して新築されたに近いが、 建具や内部の家具などはそのまま移動してきており、外壁や屋根瓦もできるだけ元のものを持ってきていて、 それが敵わなかった部分はできるだけ元の家の風合いに近いものを使っている。
貴子のアトリエは春花の記憶によって再現され、貴子が使っていた文机の上には画材などが散らばすように置いてある。
春花がときおり埃を払う以外は、物が動かない部屋だが、古びた文机の上には、赤くピカピカ光るボディーに金蓋の缶が必ず置いてあり、これはときおり交換されている。貴子が生前嗜んでいた紙巻き煙草の銘柄である。

先代の岩下家主人以下その妹と、主人の妻以降の人々が『あずまや』と呼ぶこの家は、 実は岩下家先々代主人とその妻が結婚して暮らし始めた、小さくささやかな3Kの家である。
元は岩下家本宅の敷地内に建っており、岩下家の本宅共々、先々代主人の、妻の父親の持ち物であったらしい。
ちなみに、先々代主人は婿養子ではない。『岩下』になる前の家名は今ではもう不明である。

雨は止む気配なく降り続いている。
春花(モノローグ)
 こんな雨の日は、ふと思い出す。
 ここに移設するずっと前に、この家の主人だった、叔母・貴子のことを。
 子供の頃、叔母は私にとって最愛の人であり、それは今も変わっていない。
 忙しい父母の代わりに私たち兄妹を実質的に育ててくれたのが、この叔母だった。
 叔母は、いわゆる芸術家で、日本国内よりも海外のほうで評価が高い。
 亡くなって30年ほど経つが、叔母の作品は今も高値取引されている。
 国内で流通していた作品は、三島興産の先代社長がほとんどを個人で蒐集し、
 二〇年ほど前に私の母・柳原秋子と共同で、専門の美術館――Iwasita Takako 美術館――を設立・法人化している。
 叔母は、私たちにはよく理解できない、超現代的かつ巨大な立体物を作る人だが、巨大な壁画も何十点か残っているし、反対に虫眼鏡で見ないと何が描いてあるのか分からないような小さな絵も好んで描いていた。
 晩年はとある事情から寡作になり、絵のみを創りだしていた。
 本当の遺作は、隣の本宅のプライベートエリアに、今もひっそりと掛けられていて、時折母が見に来る。
 国内にあるIwashita Takakoの作品で、唯一三島の先代社長の手に渡らなかった作品だ。
 三島氏曰く「これは美術的・作品的価値は全くない」とのことだが、素人の私でもそう思う。
 叔母は、芸術家にありがちな、社会生活を送れない人だった。
 商才がありながら客商売に向いてなく、当時、叔母の兄である私の父が経営していた模型屋の2号店で
 店番をしているかと思えば、当時の“あずまや”に引きこもって作品創りに没頭していたり、そうかと思えば、愛人と“あずまや”の中で蜜月を送っていたり、母の通訳と称して海外にふらりと出かけて、その母よりもずいぶん遅く帰国したり。
 いきなり何かに興味を示してそれを追い求め、寝食を忘れて放浪したり。
 その流れで事故を起こしてみたり。
 機嫌も、いつも良いばかりではなかった。
 きっかけがなく、いきなり機嫌が悪くなったりその逆だったり。
 荒れている叔母は火の玉のようだった。子供だった私たち兄妹には決して向けない感情なのだが、それでも、全身から炎が吹き出すのではないかと思えるほどの怒りを常に抱え、毒舌で自分勝手な発言と行動で、周囲の大人たちを振り回していた。
 反対に、機嫌の良すぎる叔母も大変に危険で、父などが無理難題をふっかけられては困り果てている姿をよく見たものだ。
 それでも小さな私は、叔母が大好きだった。
 彼女の行く先はどこへでも付いて行きたかったし、またそれを叔母によくねだった。
 叔母は私に対してはおおむね機嫌の良い人で、子供の私に対しても、同じく子供だった兄たちに対しても、一人前の対応をしてくれたのだった。
 ただ。
 時折、叔母が見せる、冷たい横顔だけが、私はどうしても受け入れられなかった。
 誰も寄せ付けない、親友である母や兄の父ですら拒絶するような横顔。
 何も見ていない視線。
 すっと眼(まなこ)を上げて、無表情になる瞬間。それが私は恐かった。
 恐いけれども、とても美しい横顔。
 小さな私は、叔母の視線がどこにあるのか、すっと知りたいと思っていた。
 しかしその視線の先には何もないのだと気がついたあの時。
 それ以来、私は叔母が囚われている何かを見つけたいと、強く思うようになった。
 今ならばそれが分かる。
 孤独と絶望。
 それが叔母を支配していたものの全て。
 若くして評価と栄誉を受け、天才の名に恥じず、恣(ほしいまま)に行動してきた叔母の、
 天才が故の狂気、孤独。そして絶望。
 家族である兄に理解されず、親友である私の母にも理解されず。
 また“恋人”であったかつての愛人たちにも真に理解されず。
 特に愛人たちは、ひっくり返せばライバルでもあったはずだ。
 結句、彼女たちとの関係は、たった一人を除いて長続きしていない。

 

「……まぁ、カオリ小母さんは、貴ちゃんに匹敵する変人だったしね。」
春花、洋服ダンスからスーツをひと組選び出す。
「……いや、もしかしたら……」
(お母さんだけは、理解していたのかも。)
春花(モノローグ)
柳原グループ先代総裁。柳原秋子。
世界に冠たる巨大企業を何十年もひとりで支え続けた母。
頂点にいる者の孤独。誰にも理解されないそれ……。
何よりも高い頂に立ち続けたふたり。
その孤独と狂気と絶望。
私は、母のあとを継ぐことで、“叔母が囚われていた何か”を見いだすことができただろうか?
見いだしていないならば、この先見いだすことができるだろか?

 

着替えが終わり、鏡に写った姿を見て、「よし!」と頷く。
…と、そこに、以前の“あずまや”にはなかったモノが鳴る。
モニター付きインターフォンである。
春花
はい?

 

貴秋
(モニター内) そろそろ時間だ。

 

春花
用意はできてるわ、兄さん。
……春貴(ハルキ)は出た?

 

貴秋
ああ。遅刻せずに行ける時間に出て行ったよ。

 

春花
ふーん。大丈夫かしら? あの子。

 

貴秋
まぁ大丈夫なんじゃないか?
実父と義母(両親)と同じ会社に行くのに、自分だけ別なのは腑に落ちないだろうがね。

 

春花
立場が違うもの。私もはじめはそうだったわよ? 兄さんもでしょ?

 

貴秋
そうだね(苦笑)
……さて。
雨が降っているので、玄関先に車を回しましょうか? 会長。

 

春花
ええ、お願いします。岩下さん。

 

貴秋
わかりました。すぐに参ります。

 

モニターが沈黙し、春花は玄関へと歩を進める。
玄関のガラス戸の向こうには、たぶん秘書室長である実兄・貴秋の影。
傘を2本差している。
春花(モノローグ)
生前の貴子叔母は、なにかを常に探していた。
孤独と狂気と絶望の中で、身を焼くほどの怒りと共に何かを求めていた。
怒りの感情は、彼女のエネルギーなのだと、今では理解できる。
強すぎるが故に短命だった芸術家の、魂の熱さ。
小さかった私は、それに惹かれ、彼女を愛したのだろう。

 

春花、引き戸を開ける。
そこには自分の分と春花の分の傘を2本差した、貴秋が立っている。
貴秋
おはようございます。

 

春花
はい。おはようございます。

 

“あずまや”の引き戸が閉まる。
ガラスの向こうにはふたりの影。
春花(モノローグ)
でもね、貴ちゃん。
貴女が見つけようとして見つけられなかったもの。
それは貴女のすぐそばにあったのよ。
私たちという家族。――それが。

 

カラス戸越しに、ふたりが今日の簡単なスケジュール確認をしている声が漏れ聞こえる。
しかし不明瞭でよく聞こえない。
春花(モノローグ)
私は今も、叔母・貴子を愛している。
彼女が見つけようとして見つけられなかったものを見つけるために。
彼女ただひとりだけを愛し続けた。
そして、それを見つけた、これからも……。

 

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