オリジナル格納庫

ある意味、カオスの巣窟。

あの桜並木の下で 小品集 後期

恵方巻き

恵方巻き 本文

○午前 岩下家 庭・家庭菜園
鍬をふるう音。ザクザク…。ザクザク…。
その音よどみないが、ときおり石を噛むような音も混じっている。
岩下家の庭の一角ある家庭菜園。大きさは3坪ほど。
菜園の主である岩下貴子が、鍬で、畑全体の土の表面をはぎ取っている。
本宅のほうからは、子供たちの
「おにわーそとー。おにわーそとー。」
「ふくはーうちー。ふくはーうちー。」
の声が、遠く聞こえる。家の中で豆まきをしている模様。
貴子
(上体を起こし、鍬を自分に立てかけて、
 作業着の内ポケットから白と青の小袋を取り出す。
 白の方が青よりも倍ほど大きい。それを覗き込みながら)
……ふむ。

 

本宅方面からはまた「おにはーそとー」の声。
声がやや大きくなっている。
今は縁側あたりで撒いているようだ。
貴子、本宅に向かって声をかける。
貴子
おーい。ちびどもー。

 

声が止み、パタパタと子供たちが家から掛け出てくる音。
岩下(兄)の長女の春花(はるか・3歳)を先頭に、
長男次男の貴秋(たかあき・10歳)・友秋(ともあき・10歳)が出てくる。
手には撒いていた豆が入っていただろう空袋を、各々ひらひらさせながら持っている。
春花
なにー? たかちゃーん。

 

貴秋
呼んだー?

 

友秋
僕ら豆まいてるんだけど。お父さんの言いつけで-。

 

貴子
(そばにやってきて整列している子供たち一同を見回して)
節分に豆まくのは、我が家の重要年中行事だからね。

 

貴秋
じゃー、貴子おばちゃんもまいてたの? まめー。

 

貴子
もちろん。まいてたよ。
お父さんもね。

 

春花
おかーさんはー?

 

貴子
お母さんは、その頃はウチの人じゃなかったから、どうだろう?
柳原(あっち)の家もやってたんじゃないかな? なにせ古い家だし。

 

貴秋
春(ハル)、知らないのか?
豆まきはニッポンの伝統行事なんだぞ!

 

友秋
年の数だけ袋に入れて、悪いところをなでるんだよ!
な、タカ。

 

貴秋
え? 違うよ、トモ。
年の数だけ食べるんだよ?

 

友秋
豆食べちゃいけないんだよ。
食べるのはお餅だよ。お父さんが言ってた

 

春花
……たかちゃーん(どっちが本当?…と訊くように貴子を見上げる)

 

貴子
さて、どっちかね?(口の端をにやり、と上げて意地悪そうに笑う)
タカもトモも、そーゆーことは、あとで父ちゃんと母ちゃんに訊きな。
ところで、諸君。
岩下家の重要年中行事にしてニッポンの伝統行事・豆まきは終わったかね?

 

友秋
終わったよ!

 

貴子
全部の部屋にまいた?

 

貴秋
貴子おばちゃんの部屋以外はね(ひひひー、と笑う)

 

友秋
特に「はなれ」は、「まくつ」だから(ふひひー、とトモと同じ表情で笑う)

 

貴子
たーか、とーも。
一体誰がそんな悪たれ口を叩くようになったのかな?
……てか、その「魔窟」てなんじゃい?
誰が言ったの?

 

友秋
おとーさーん。(↓とハモっている)
貴秋
おかーさーん。(↑とハモっている)

 

貴子
………。(独白:あいつら、今度シメちゃる……)
アタシの部屋はアタシが自分で撒くから、それはいいとして。
実はもう一カ所、撒かねばならない場所があるのだが、
君らは知っておるかね?

 

友・貴
えー? どこどこ?

 

春花
ちゃんとおふろと おてあらいもまいたよ。
トモちゃんとタカちゃんが。

 

貴子
……ハルは、見てただけ?
もしかして。

 

春花
ううん。おだいどころとれいぞうこのなかー。
おとうさんとおかあさんのへやもー。

 

貴子
………。
撒いただけですか?

 

春花
うん。ぎゅうにゅうのんだ。

 

貴子
……さいですか。(独白:ちゃっかりしてんなー、相変わらず)

 

友秋
ねーねー。貴子おばちゃん。
まかなきゃいけないトコってどこ?

 

貴秋
もう豆ないよ?

 

貴子
ああ、はいはい。
豆はアタシがちゃんと持ってます。
……。
(白と青の袋を、子供たちに見えるように胸の前に掲げて)じゃじゃーん。

 

友貴春
………。(それぞれがそれぞれの表情)

 

貴子
この小袋の中の豆を、あっちに向かって撒いてくだされ。皆の衆。
あ、そうだ。
タカとトモがこっちの袋で、あの一角。
ハルがこの青い袋の豆でー、ココに。
こう、こう、こう……の広さに撒いて。
あんたらが撒いてる間、おばちゃんはちょっくら必要ない道具を片づけてくるから。

 

貴秋
おっけー。

 

春花
まかしといて。

 

友秋
らじゃーでーす。

 

貴子
……じゃ、よろしくー。

 

○岩下家 庭の一角にあるプレハブ倉庫
子供たちの「おにはーそとー」と声を聞きながら、
貴子は倉庫に鍬や鋤を入れ、次に使うものを取り出そうとしている。
貴子
(松葉箒(竹熊手)を手にとって)さてー……と。

 

おい。貴子。

 

貴子
(声に振り返る) ……ん?
何? 兄貴。

 

友則
子供達は畑に何撒いてるんだ?

 

貴子
ふふふ……。

 

友則
………。
お前の家庭菜園だよな?

 

貴子
そだねぇ。
でも、できたモノはみんなで食べるんだから、良(い)んじゃない?
お手伝いの一環ですわよ、おにーさま。

 

友則
そしてまた草ボウボウの空き地だか畑だかわからんモノになるのか。

 

貴子
幸せな春を迎えたいよねぇ?(いたずらっ子のように笑う)

 

友則
……幸せな春?

 

貴子
そうそ。美味しい春は、幸せな春……ってね。

 

友則
………。
お前。

 

貴子
なに?

 

友則
……今日は、ものすごく機嫌がいいな。

 

貴子
そぉ?

 

友則
何があった?

 

貴子
別にー(にや、と笑う)

 

友則
(困惑した顔)(独白:なんだ? なんだ?)

 

子供たちの「おにはーそとー」の声が遠く聞こえている。
○夜 岩下家居間。
友則・秋子(しゅうこ)・貴子。大人たちだけが集っている居間。
大ぶりの長方形のこたつの上に、丸い盆に盛られたミカンの小山がひとつ。
山はやや崩れて、その周りに食べ終わったミカンの皮たちがごちゃっと小積まれている。
夜はやや遅めらしく、子供たちの姿はない。
貴子、昼の機嫌の良さはどこに行ったやら、やや不機嫌な顔。
貴子
何と言いますかねぇ。
……いくら時代が変わろうとも、
世間の金儲け主義に踊らされては、イカンと思うのです。

 

秋子
(ミカンを食べながら)貴ちゃん。それを言い始めたら、年寄りになった証拠よ?

 

友則
(ふたりのやりとりを、笑いを堪えて聞いている。口の端が微妙に笑うのを我慢中)

 

貴子
それでも構わないもんねぇー(手でミカンをいじめる)

 

秋子
ま、子供たちの前で、そういう態度をしなかったのは、褒めてあげるわ。

 

貴子
だいたい、なにゆえに今年の食卓に巻き寿司が大きな顔をしたのか。(ミカンを剥く)
それは世間の金儲け主義に乗っかった、悪習へのトレースではないのか?

 

秋子
………(友則に剥いたミカンを渡す)

 

貴子
岩下家と柳原家が、世間一般の家庭からずれた習慣を持っているとしてもだ、
それは両家の古くから連綿と繋がった良き習慣だと思うんですよ。

 

友則
……て、ウチが節分に雑煮を食うようになったのは、
秋子くんがこの家に来てからじゃないかー(っはっはっはー)

 

貴子
兄は黙っててください!(ぴっしゃり)

 

友則
……はい。

 

秋子
友ちゃん、こういうときは口を挟まないのよ。面倒なことになるから。

 

友則
……そーですね(しょんぼり)

 

貴子
そもそも、血縁的に関西に縁のない岩下家がだねー……

 

秋子
(貴子の言葉に被せて)ごちゃごちゃ難しいことを言ってないで、
いつものお雑煮じゃなかったのが不機嫌の元です、って言えば?

 

貴子
………。

 

友則は爆笑したいが、堪えている。
秋子はしれーっとミカンを食べている。
貴子はバツが悪くて黙っている。
秋子
しょうがないでしょ? 春も友も貴も楽しみにしてたんだし。
それに、学校でそういう話題になるみたいよ?
「恵方巻き、どうやって食べたー? どこの食べたー?」って。

 

貴子
……コンビニめー……。テレビCMめー……

 

秋子
そのコンビニで予約しようかとも思ったんだけど、それだとあなたがイヤでしょ?
だから作ったんだけど?

 

貴子
………。

 

友則
そもそも、『恵方巻き』っていつ頃から出回りだしたんだっけ?

 

秋子
ここ10年くらいからかしらね? (剥いたミカンを友則に渡す)
(貴子に)もともと関西の風習だったけ?

 

貴子
関西の風習……って言うけど、戦後のものらしいわよ?
海苔屋と寿司屋の陰謀だって。
ちょうど、どっちも需要が落ちる時期だろうしね。

 

友則
相変わらず、ヘンな知識だけは持ってるな、お前。(ミカンを食べる)

 

貴子
……て、大阪出身の友達がね、言ってた。

 

秋子
あ、直美さんね。(ミカンを食べながら)

 

貴子
そうそう、そのニャォミさん。

 

秋子
そーいえば彼女、節分の日に巻き寿司を大量に作って、みんなにばらまいてたっけ?

 

貴子
うん。その時に聞いたの。(ミカンを手に取る)

 

友則
よく憶えてるな。

 

貴子
まぁね。ヘンな知識だけは……ね(ぷん、とそっぽを向く)

 

秋子
でも貴ちゃんじゃなかったかしら? 私が柳原を継いだときに
節分の巻き寿司を全国展開!」……とか楽しそうに言ってた人は?

 

貴子
結局やんなかったじゃない。(ミカンを剥きつつ食べる)

 

秋子
(肩をすくめて)まだ信用を得てなかった頃ですもの。名前ばかりの会長で。
時期が熟してなかったというか……ね。
でも、とりあえず言ってはみたのよ? でも即却下されたの。
一笑に付された、という感じでね。

 

貴子
それは……悪いことをしたわね。……でもって、ありがと。

 

秋子
いえいえ、どういたしまして。(ミカンを剥いて、半分を友則へ)

 

友則
どっちも機が熟してなかった……ってことか。

 

貴・秋
……え? (秋子はミカンの半分を食べようとして止まる)

 

秋子
……ああ(にっこりと微笑む)、そうかも。
あの時ごり押ししてても、当時はコンビニ業界の伝手が弱かったし。
そうかもしれないわね。

 

秋子と友則の視線が絡み合い、ほんわかとした空気が、ふたりの間に流れる。
その様子を見ていた貴子が、「……ふん……」と面白くなさそうに
鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

間。

しばし静かなひとときが訪れる。
気がつけば、ミカンの小山は、すべてミカンの皮の小山になっている。
秋子は丸盆の上にミカンの皮をすべて乗せると、それを片付けるために立ち上がる。
拗ねている貴子の方にわざわざ行って(貴子の位置は縁側のほう、秋子は台所に直通できる方の座面に座っている)、貴子の頭をぽんぽん、と軽く叩く。
貴子
んー?(秋子を見上げる)

 

秋子
(立ち上がって貴子に笑いかけながら)……明日。

 

貴子
……うん?
秋子
明日は立春でしょ? 本来なら立春にお雑煮を食べるのよ、柳原の家では。

 

貴子
……あ……。

 

秋子
だから……。

 

貴子
……うん。

 

秋子
はい。

 

貴子
……ありがと。

 

秋子
いい子ね(微笑んで)
あ、そうそう。お昼。畑になにか子供たちに撒かせてたって、聞いたけど。
もしかして、豆?

 

貴子
……あ、うん。そう。

 

秋子
何撒いたの?(にっっこり)

 

貴子
……。
スナップエンドウとキヌサヤ。

 

秋子
それだけ? 春花(はるか)には違うモノを撒かせたんでしょ?

 

貴子
あー……。うんそう。

 

秋子
何?

 

貴子
えーと……黒大豆……です。

 

秋子
……ふーん……。黒大豆……ね。

 

貴子
(視線をそらす)いや……その……。アタシの酒の肴というわけでは……。

 

秋子
時期が違うからちゃんとできないかもしれないしね。

 

貴子
そー……ですね。

 

秋子
……来るといいわね。幸せな春が(にっこりと微笑んで、台所に去る)

 

貴子
(『参りました』という表情で秋子を見送る)

 

その様子を見ていた友則、肩をすくめてため息ひとつ。
貴子
(照れくさそうに兄を睨む)……何(あに)よ?

 

友則
……べっつにー。
(しれっと、自分の横の床に置いていた新聞を取り上げて読み始める)
どっちが年上やら……って感じだな(口の端が笑っている)

 

貴子
……ふん……(そっぽを向く)

 

新聞越しに妹の様子を見て、友則は無言で肩をすくめる。
友則
(独白:まったく。……妬けるなぁ。)

 

○同 岩下家 外から
窓越し、そして雪見障子の窓越しに、新聞を読んでいる友則と
コタツに突っ伏して丸くなってる貴子の背中が見える。
庭の梅の蕾がふくらみかけている。
月が白く岩下家の庭を照らしている。
(了)
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