へっぽこ・ぽこぽこ書架

二次創作・駄っ作置き場。 ―妄想と暴走のおもむくままに―

『マリアさまがみてる』二次創作SS

南天

南天 本文

1

「聖。来年から、正月に戻ってこなくていいからな」
 ……と、雑煮を食べながら、父が言った。
 正月である。元旦である。まだ朝である。
 外はぽっかり雪景色。珍しく雪が積もった正月になった。昨年の大晦日——つまりは昨日——は朝からやたら寒く、いわゆる「しばれる日」だった。そして夕方から雪が、さも当然のように、しんしんと降り始めた。
 今朝、起きていちばんに朝刊を取りに外に出てみたら、銀世界が広がっていた。門柱に埋め込まれた郵便受けのすぐそばに植えられている南天の木が、雪の重さで折れそうにたわんでいた。
 ちょっと可哀相な気がしたので積もった雪を払ってやると、南天の枝はびゅんとその首を持ち上げて、残りの雪を自らの力で振り落とした。ぴかぴか光った深緑の葉と、まさしく反対色の真っ赤な真っ赤な小さい実の群れが、自分の吐く白い息の向こうから、私の目に飛びこんできた。
「……お正月だねぃ」
 端的な感想だった。でもあとでよくよく考えたら、クリスマスでも充分イケるカラーリングだった。
 そんないかにも正月な(そしてクリスマスとも併用できちゃう)景色と共に始まった今日である。
 正月である。元旦である。まだ朝である。そして雑煮を食べている。
 だのにもう来年の正月の話をするとは、父も歳をとってせっかちになったとみえる。
「鬼が笑うわよ?」
 口の中で咀嚼していた合鴨を飲み込み、食道を滑り落ちて着地したのを胃で確認してから、私は父に言った。
「いくらなんでも来年の話をするなんて、気が早すぎない?」
 今日から今年が始まったばかりなんだけど? と、言葉を補ってみたら、空になった雑煮椀を母に差し出しておかわりを要求していた父が、おもむろに首を横に振った。
「早くない。遅すぎたんだ」
 はぁそうですか。……てことはつまり……。
「なに? 言いそびれたの?」
 そこまで言って、餅の尻っぺた(どこだよそれ?)を噛む。箸でしっかりつかまえたまま一気に向こう側へ引くと、職人が杵《きね》で手突きしたという餅は、弾力を保ったままびろ~~んと伸びて、切れる気配がなかった。
 まぁいい。どうせ父がしゃべる番だし。母がしゃべり出すかもしれないし。
「……ま、端的に言うとそうだが、微妙に違う」
 父は雑煮を受け取って、まずは「ずぞ」、と汁をすする。ちなみに私もだいたい同じ行動をする。親子って恐い。
 私と言えば餅と格闘中で、次の手を打つことができない。
 雑煮の餅はなかなか根性が据わっていて、噛んでも噛んでも歯を押し戻す。餅屋の言葉に偽りはなかったが、こういうときはちょっと……いや、かなり困る。
「決心がなかなかつかなかったんですよね」
 母が横から言葉を挟む。こちらも二杯目の雑煮に取りかかっていた。
「一昨日の夜遅くに、やっと決心したのよ、お父さん」
「……ふむ」
 餅魔と戦いながら、私は母に視線を転じる。しゃべりたいのにしゃべれないこの状況は、なかなかちと辛い。
「いきなり大晦日の朝に『帰ってくるな』って言われても、困るでしょ? 蓉子さんも予定があるでしょうし。だから……」
 やっと餅が切れて飲み込めた。顎が疲れてだるくなった。夏目漱石の『猫』も、こんな気持ちだったんだろうか?
「その判断は、正しいわね」
 左手で顎を支えてカクカク言わせながら、私は言った。
 正月の用意すらしていないのに、大晦日にそんなことを言われたら、三箇日のあいだに間違いなく餓死すると思われる。……ま、コンビニなんかは開いているだろうけど、正月とっぱじめからコンビニ弁当なんて、これからの一年が暗示されてそうで、かなりイヤだ。
「んー……それ、蓉子と相談してからじゃ、ダメ?」
 蓉子だって正月は実家に戻っているのだ。蓉子がいない部屋で年越すのも正月を迎えるのもイヤだ。ぜったいにぜったいにぜーったいに、イヤだ。
 正月に『実家《いえ》なき子』になっちゃったなんて言ったら、間違いなく蓉子の実家に招待か収容かどちらかになるんだろうけど、それでも先に相談はしておきたい。……と思ったら、テキはさらに言った。
「大丈夫よ。あちらもたぶんそうされるわ。……ねぇ、お父さん」
「ああ、たぶん……な」
 おーい。
 なんですか、また親同士で根回し済みですか、そうですか。
 私が渋ーい顔をしていると、父は言った。
「そもそもだな。考えてみろ、お前たちの年齢を。もう実家で正月を過ごすなんて歳じゃなかろう」
「それって、年齢とか関係あるの?」
「……む」
 ほら詰まった。適当な理由で丸め込まれる年齢でもありませんが、すでに。
「元旦は水入らずで過ごして、二日か三日にふたりで戻ってくれば? ……と、言いたいのよ」
「はぁ」
「……イヤなの?」
「んー……そういうの、真剣に考えたことなかったなぁ」
「……そう」
 母の声がなぜか落胆の色を帯びた。
「だってさ、一緒に暮らし始めた時から、各実家の年中行事には、自分の実家に戻る……って取り決めてたから」
 そう言うと、両親が呆れたような顔で、こっちをまじまじと見た。なんかヘンなことを言ったかな?
「聖。今のマンションに移って何年になる?」
 父が至極真面目な顔で言った。
「え? ……えっと……は、八年……かな。あれ? 九年だっけ?」
「どちらにしても、十年に手が届こうとしているな」
「そ、そうですね」
 父と母は、一度お互いに目配せして、それからこっちに改めて対峙した。すべてのタイミングが一緒だった。夫婦も親子同様になかなか恐い瞬間がある。こっちは血が繋がっていないだけに、よくよく考えるとさらに怖いかも。
 そんなことを私が今考えているだろうなんて思っているはずもない父は、さらりと言葉を続けた。
「所帯を持って十年。だのにお前たちはまだお互いに独身気分でいるわけだ」
「……は?」
「もうそろそろ、そういうのは卒業してもいいんじゃないか?」
 ……はい?
「……そういうことだ。だから、旧正月も節分も戻ってこなくていいからな」
 ……所帯?
 ……え?
 …………え!?

2

 三箇日を過ぎて一月四日。両親から持たされた荷物を両腕に抱えて自分たちのマンションに戻ると、すでに蓉子が帰ってきていて、途方に暮れた顔で私を出迎えてくれた。
 蓉子の顔を見た瞬間、私は蓉子の実家で起こったであろう事をなんとなく理解した。
 つまりは、まぁ……そういうことだ。
 親には逆らえない……じゃなくて、頭が上がらない……いやいや違うな。なんて言ったらいいんだ? この場合。
 親っていうものは、こっちの考えていることのはるか頭上、ヘタしたら成層圏あたりのことを考えていたりする。子供は時にそんな親に振り回される運命にある。もしかしたら、これってウチや蓉子ん家《ち》だけの話かもしんないけどさ。
「おかえりなさい。……ん?」
 蓉子が両の掌を上にして、「ちょうだい」のポーズをする。
「はい?」
「荷物、半分持つわ」
「あ……ああ、じゃ、これをお願いしていい?」
 ええもちろん。と言って蓉子は、私が差し出した新聞紙にくるまれたものを受け取って、上部の開口部から中を覗《のぞ》いた。
「あら」
 ふっくらと笑う。
「南天の木ね。……すぐに生けるわ」
 そう言うと、ぱたぱたと洗面所に小走りで入っていった。
 私はその姿を見送って、はぁ、と小さく息を吐いた。場太い荷物はなくなったけど、実は持っていた荷物の総重量は、花包みを渡したくらいでは、さほど減ってはいなかったのだった。私はぺたこぺたこと足取り重くリビングへ入り、いつものテーブルの上に両親から持たされたお土産の数々を広げて、蓉子が南天を生けた花器を抱えてニコニコしながら戻ってくるのを待った。
果たして蓉子はリビングに戻ってきた。
 南天は、私が実家からどんな草木を持たされて戻ってきても必ずそうされるように、それが似合う花器に飾られて、部屋のあまり邪魔にならない、しかしそこそこ存在を主張できる場所に飾られた。
 蓉子が所定の位置に座ってから、私は用意したお茶を入れた。
 ふたりの間にお茶の立てる湯気と香りがほんのりと漂うあいだ、私は簡潔に、元旦の朝に両親から言われたことを蓉子に話し、蓉子もまたこの正月に蓉子の両親から言われたことを私に話してくれた。
 話終わったとき、私たちの口からは、どちらともなくため息が漏れた。
 過去にはいろいろあったけれども(特に蓉子のほうが。ウチは大学時代に実家を出た時から、ある意味放任——自分のコトは自分で責任取れよ——主義だ)、お互いの両親は私たちの関係を知っているしそれなりの理解も示してくれている。それは嬉しい。
 だが、だからといって『諸手を挙げてオーライ』とは、当事者である私たちのほうが、なかなか思えないのかもしれない。
 親から「所帯を持った」なんて言われても、どっちがこのマンションの世帯主かなんて、考えたこともない。職の確かさから蓉子名義で借りてるだけだ。
「そんなわけで、聖」
「はい?」
 自分の座布団の上に座っていた蓉子が、神妙な面持ちで中腰になったかと思うと、まるで紙でも抜き取るかのように、自分の下から座布団を抜き取って床に正座した。
「あらためて、これからよろしくお願いします」
 そう言いながら、床に手をついて深々と頭を下げる。
 ……て、ちょっと待って! それはいわゆる『三つ指』というヤツでは!?
「い、いいいいい、いや、そんな。あらためてって……止めてよ、もう!」
 驚きすぎて声が裏返った。
 蓉子の後頭部が揺れて、くすりと笑った。
 ——あ。
 ほんの少し蓉子の首が傾《かし》いで、黒い髪越しにいたずらっ子のような光が透けて見えた。
「……やられた」
 私は肩を落とす。いつまで経っても蓉子には敵わない。
 至極真面目な人ではあるけども、時折見せる悪戯《いたずら》や茶目っ気が、私をどぎまぎさせる。そして私を虜《とりこ》にする。
「こちらこそ、あらためまして。よろしくお願いします」
 私も蓉子にならって尻の下から座布団を引き抜き、床に正座して頭を下げた。もちろん三つ指もついた。
 お互いに顔を上げる。視線が交差する。
 ややあって、「ぷ」と吹き出した。ふたり同時に。タイミングがまったく一緒だった。
 蓉子が幸せそうに微笑んでいる。たぶん自分は蓉子が大好きだとか言う間抜けな顔をして笑ってる。
「南天はね」
 蓉子が今しがた飾った南天の木に視線やりながら言った。
「『難を転じる』に通じるということで家の鬼門や裏鬼門に植えるといいとされているのだけれど、他にもね、四季を問わず葉が緑色だから、不死や永遠の繁栄にたとえられることもあるのよ」
「へぇ。相変わらず、博学だねぇ」
 私は素直に言った。知らないことをさらりと教えてくれるのは、学生時代から変わらない。それを私がいつまで憶えているかは、また別の話なのだけど。
 蓉子は少し微笑んで、それから目を伏せがちにして言った。
「花言葉、知ってる?」
「残念ながら……というか、あたりまえのように知りません」
 頭を下げながら正直に言うと、蓉子は「そうでしょうね」と静かに笑った。
「……『機知に富む』『福をなす』、『私の愛は増すばかり』……」
「お。最後のやつ、私の蓉子に対する気持ちみたい。それ、気に入ったー」
 機嫌良く言って、私は笑った。蓉子はしょうがない人ねと言いたげに、苦笑した。
「それからね……」
「え? まだあんの?」
「ええ……」
 蓉子ははにかんで、言った
「……『良き家庭』」
「……え?」
 ……マジですか?
 いや。いやいやいや。蓉子が嘘つくはずない。
「お父様とお母様に、してやられたわね」
 ……あ。
 あー。あー。あー………。
 私はぽかんと口を開けたまま、蓉子の顔を見る以外に何もできなかった。
「お茶、入れ直すわ」
 ちょっと頬を赤らめながら、蓉子が立ち上がった。キッチンに向かう蓉子を呆然と見送りながら、私はいったん取り除いた座布団を引き寄せて、その上に再び座った。
 まったく。蓉子じゃないけど、あの両親にはしてやられた。
 というか。あまりにも回りくどくて、意味が分からん。
 思案を巡らしあぐねて天井を見た。そこにはいつもの天井があるだけだ。
 さてどうしようか。
 あの計画を実行にうつす時が来たのだろうか。いや、『うつせ』と状況が言っている。マリア様とアミダ様、どちらにお伺いを立ててもたぶん『うつせ』言うだろう。この時を逃すと、さらにずるずる未来に持ち越しになって、ヘタをすると一生叶わないかもしれない。
 そこまで考えて、ちらりとキッチンへ視線をやる。
 もう戻ってきてもいいころなのに、蓉子が戻ってくる気配はない。私はまた天井を見上げた。上を向いてると、考えが前向きにまとまるような気がした。
 よし。世間が正月休みから抜け出たら、すぐに実行に移そう。今度は自分が蓉子をびっくりさせる番なのだから。
 サイズはこっそり測ってある。もちろん蓉子のサイズだ。
 蓉子の細い指に、あれはすごく似合うだろう。
 私は、近い将来に蓉子と自分の指を飾るだろう細く白い輝きを想像して、うっすらと笑みを漏らす。
「おまたせ、聖」
 蓉子がキッチンから、かなり本格的なお茶の用意をして出てきた。皿に盛ってある菓子類は、きっと蓉子が実家から持って帰ってきたものだろう。
 心なしか、蓉子の頬が上気して、ぽうっと赤く染まっているように見える。
 蓉子が飾られた南天のそばを通ったとき、赤い実が窓から入る光を反射して、蓉子の頬をさらに赤く染めたような気がした。
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