へっぽこ・ぽこぽこ書架

………。

………。
………。
………。
………。

（ガタン、と立ち上がり）ちょっと、出てきます。

……あの——

（ギョロッと見る）

っっ……お気をつけて。

（ちょっと顔をしかめて止まり、小さく会釈して出て行く）

（ややあって）……なんなんだい、ありゃ。

（苦笑気味に）ごく稀にですが、こういう日もあります。

ご機嫌がとてもお悪い日があるのです。
司令官さんにもどうにもできないようなのです。

はぁん？　……あんがいめんどくさいお人だなぁ。

鳳翔よ、先日、本部で何があった？
帰りの道中もずっとあんな感じだったが？

……いつものことです。

いつも？

ヒナセ提督のことを羨む提督がたも少なくありませんから。

あん？　……へー、そうなの（なんだか得心した顔）

ええ。

それでなのね。

なんだ？

鹿屋《本部》にあまり行きたがらないじゃない。

………。
隼鷹。

あん？

ここ、間違っている。

あん？　あー……わりーわりー。直しといて。

自分でやれ。

へぇへぇ（渋々仕事を再開する）

（仕事が一段落したので、お茶の準備を始める）

はわわ、ほ、鳳翔さん、お手伝いしますのです。

ええ、お願いします。

くそったれ、くそったれ、くそったれ……。
誰が運がいいだ。軍族なんて……軍族なんて！！
こちとら好きで繋いだ縁じゃねーよ！　そもそもアサカの長男だなんて、
これっぽっちも知らなかったよ！！
教官の立場を利用して近づいてきて、さんざんまとわりついて、勝手に盛り上がって。
いきなりプロポーズしてきたのはあっちだっつーの！
行きがかりで結婚したら、たった三日で、勝手に死んじゃって！
アサカの長男だったなんて、十年以上経ってから知ったよ。
それのどこが幸運だ。くそったれ！
そんなもの、熨斗つけて譲ってやるよ！
とっとと籍を抜いておくんだった……。無知は罪だ！！　くっそー！！！

心配して来たのか？

そういうワケじゃない。ただ……

ただ？

部屋の主が戻ってこないと、おやつが始まらない。

………。
ほっといて先に食べたらいいだろう。
冷めたり溶けたりするものでなければ、デスクの上に置いてやっておけばいい。

私もそう思うのだが、鳳翔と電が手をつけないからな。

なるほど……ん？　今日は隼鷹もいなかったか？

隼鷹は何物にも囚われない。

なるほど。
じゃ、お前も師の教えに従えばいい。
提督は気にしないぞ。

………。

……あんがい気を遣うタイプなんだな。

（バツが悪そうに）そういうわけではない。

そうか。

で、アレは何に対して怒っているんだ？

さぁな。人間同士の利害関係とやらは、いろいろと大変そうだな。
ただ、彼女の今の怒りの根源は、彼女自身にもどうにもできない事象だからな。

？

彼女は未亡人だ。

ミボウジン？

知らないか。
もともと伴侶がいたんだ。

ハンリョ？

お前にとっての隼鷹かな。厳密には違うが。
『伴侶」というのは、我々にとっての“母親”には相当しない。
……隼鷹の、お前に対する“母親”の部分がないものだと思えばいい。
そして、多くの人間にとっては、『伴侶』は同性ではない。
鹿屋《本部》には男の提督がたくさんいるだろう？

ああ。

多くの人間の女にとっては、伴侶は人間の男だ。

ふうん。

興味がないか。
困ったヤツだな。

困るのか？

もしここから出されて、次に仕える提督が男で、さらにお前を求めてきたら、お前はその時どうするのかな。

……？

……なるほど。
提督と隼鷹が、お前を手放さそうとはしないわけだ（目を細める）

で、提督の『伴侶』とやらはどこにいるんだ？

もうこの世にはいない。

いない……（ちょっと考え込んで）……解体されたか轟沈でもしたのか？

人間は解体されない。

じゃ……

轟沈もしない。

………。

……が、表現としては悪くない。
海中に没したらしいということだから、轟沈と言ってもあながち間違いではないかもな。
武蔵、轟沈とはなんだ？

敵にやられて沈むことだ。

敵にやられて沈めば、我々はどうなる？

……罐《カン》の火が完全に落ちた時、この世から消えるな。

そうだ。人間はそのことを『死』と言ってる。
『死ぬ』と言うときもある。意味はどちらもほぼ一緒だ。

ほぼ？

『死』は名詞だが、『死ぬ』は動詞だからな。

なるほど。

ふふ……。
つまり、ずいぶん昔——士官学生の頃に『伴侶』を得たが、すぐに死んだということだ。
任務で偵察に出て、戻ってこなかったらしい。
私が知っているのはこれくらいだ。本人から聞いた。

そうか。
……それは、辛いな。

ずっと忘れていられればいいのだろうがね、
なかなかそうもいかないらしい。
ずっと独り身でいるのも、だからかもしれんな。

ふむ……。

………（武蔵を見て微笑む）

誰———……って、ちょっと待った……
（入ってきた大きな影に、顔が青くなる）

待て。待て武蔵……（じり…と後ずさるが、下がっただけ武蔵が近づいてくる）

……提督よ。こちらに来るがいい。

いや、ちょっと待って……来いと言われてもね……
（自室の扉のほうにじりじり移動しようとする）
というか、何の用だい？　こんな、夜中に。
（扉の距離を確認しようとして、武蔵から一瞬視線を外す）

（ヒナセの視線が外れた一瞬の隙を突いて、ヒナセとの間合いを一気に詰め、ヒナセの右手首を捕らえる）

……っっっ！！！
む……武蔵……。

なに、悪いようにはしない。

武蔵……stay……ステイ……。
てか……誰の差し金……かな？

誰でもない。私の判断だ。

………。

そんなに抵抗するな。腕が折れる。
人間は我々よりも脆弱だから、力加減が難しいんだ。

～～～………（なんてこっった。まさか……まさか………）

そうだ……力を抜け。

（ああ……ダメだ……鳳翔《おかあ》さん、デン……カワチ……。
やっぱり私は、超弩級戦艦を御する力量なんてなかったんだ……
とにかく、明日をできるだけ無事に迎えないと………）

……提督よ、貴様、寝間着も持っていないのか？

……へ？

こんな格好で寝ても疲れが取れないだろう。寝間着はないのか？

……ありません……。

夏に駆逐艦たちと昼寝をする際に着ているアレはどこだ？

……えっと……甚兵衛かな？

そうだ、あれだ。

いや、アレは時期的に寒いので、夏物と一緒に片付けました。……鳳翔さんが。

……じゃ、わかった。

（ホッと息をつく）

では、剥く（ヒナセが履いているボトムと靴下を器用に脱がせる）

ぎゃー！！！　やめてーーー！！！

いいから大人しくしろ！
（片手で抱きかかえたままベッドに向かう）

さ、寝ろ。

……いや、この状態で寝ろと言われましても……。

提督よ、貴様は疲れているのだ。

いや、疲れてない。疲れてませんから。
（じたじたと暴れるが、相手は武蔵なので何をしても無駄）

いいや疲れている。いいか、体は疲れていないかもしれんが、心が疲れている。
だから昼のようなことをするんだ。鳳翔も電も困っていたぞ。

………。

私も困った。いつまでもおやつが食べられなかったからな。

……そこかよ……。
～～～わかった。わかったから。もういいよ、ちゃんと寝るから。

いいや、ダメだ。今日は私と寝るんだ（言うと、胸のサラシをしゅるりと解く）

ちょっと待ってください、武蔵さん？
なぜ君が脱ぐ？

……こういうときは、人肌がリラックスできるのだ。
……隼鷹が、いつもそう言っている。

（え？　と武蔵を見上げる。ふてくされたようなバツが悪いような顔が見える）

隼鷹みたいに柔らかくないが、そこは我慢しろ。

(まどろみながら)……武蔵。

なんだ。

こんなマネ、二度としちゃいけない。

だったら、もっときちんとしろ

……善処…す——……

よ、ごくろーさん。

……お前か（目をこする）

……よく寝てんね。

そのようだ。

オマエさんも眠そうだ。

提督がぬくくてな。

じゃ、そのまま朝まで寝てれば？

………。

一眠りして目が醒めたら戻ってくればいいさ。アタシゃかまわないよ。
なんなら、提督が目覚めるまで一緒にいれば？（ししし、と声なく笑う）

………（ちょっと憮然とした顔）

（武蔵の頭を撫でて）ヨシヨシ。
……ヤなことさせちゃったねぇ。明日、姐さんがたっぷりご褒美をあげるよ。

……嫌……ではない。それよりも隼鷹。

ん？　なんだい？

お前にこそ悪いことを。

ばぁか。
……てか、オマエさんも大人になったもんだねぇ、偉い偉い（頬を撫でる）

（隼鷹の手に、さらに頬をすりつける）

ほんじゃま、オマエさんが満足するまでそうしてな。アタシゃ部屋に戻るわ。
ヒナセさん起こしちゃかわいそうだし、勝手に私室に入ったのがバレたら、カワチ提督(ウチの旦那)に大目玉だ。ひひ……。

うむ、おやすみ。明日、楽しみにしているぞ。

はいはいじゃねー（手をひらひらさせながら部屋から出て行く）

やぁ。どうだったかい？

出刃亀ですかい？　提督。良いご趣味だ（ひひひ、と笑う）

いやいや、妙高さんと歩いていたら、武蔵がヒナセ司令のところに入っていくのが見えて、 さらにぐるっと一巡りして戻ってきたら君が出てくるのが見えたから、 ちょっと引っかけてみただけさ。

妙高さんとデートしながら？　そらー悪趣味だ、はははは。

デートというか……ね。

見回り、ですわね。

おや、今日は夜番で？

そういうことだね。

それはそれは、お疲れさまです。
提督、アタシゃ酷いヤツかもねぇ。

どうしてそう思うんだい？

だってさー、ヒナセ提督のトコに武蔵が行くって自分から言い出したとき、わざと止めなかったんすよ。ホントはさ、アイツ、気乗りしてなかったのにさー。

ほう、君の差し金ではなかったわけだ。

違う違う、ゼンゼン。
正直、アタシだって嫌だもん。でもさ、アイツ、イロイロ考えたみたいでさ。
いきなり「今晩、提督のところに行こうと思う」なんて言い出すんだもん。びっくりしたよね。誰の入れ知恵かとおもったね。
でもさー、言うわけ。
「よくやってもらってるみたいにすればいいのか」ってさ。
もー、さらにびっくりよ。……コワいね、大和型って。
マジ怖い。
聞き分け良すぎて勘も良すぎてコワい。
だからさ、アタシ、あえて止めなかった（ひひ、と口をゆがめて笑う）

なぜだい？

やだな提督、分かってんでしょ？

さてどうだかね。

………。
今日のことは、明日にでも叱られるんだろうけどさ、
でもヒナセさんがサ、あの武蔵をサ、今以上に気に入ってくれてサ、
自分の手元から離したくない、ずっと置いときたいって少しでも思ってくれたらサ、 アイツはここから出て行かなくても良くなるじゃない。
アイツにはサ、アタシみたいな苦労っていうか、気持ちを味わせたくないんだよねぇ。真剣に。

そうか。
しかし、すごい博打を打つね。ヒナセがああいうこと好きじゃないって、知ってるだろう君は。

まねー。でも相手は武蔵じゃない。アイツはそんなところまで気は回らない。ヒナセ提督だって、武蔵にゃ甘い。
なんつっても、まだまだオコサマだからねぇ。

自信満々だね。

そりゃね。アタシの“子”だもん。オツムがどのくらい成長してるか、アイツのご主人がアイツをどう思ってるかくらいは分かりまさ。

そしてこの楽園にずっと縛り付けておきたいわけだ、“母親”としては。

もちろんですよ。いい悪いは別としてね。

いやいや、大いに結構だね…（腕時計を見て）…っと、そろそろ行こうか。潮高の観測もしておかないといけないんだった。

ええ、そろそろお時間ですわ。

うむ。じゃ、呼び止めてすまなかったね。

いえいえ、こちらこそデートのお邪魔しちゃって。

ふふふ……君こそ、眠れない夜を過ごすんじゃないよ。

あ。それは大丈夫。今夜はひとりゆーっくり眠らせてもらいますよ。

そう。ではおやすみ。

おやすみなさい。

へぇい。おやすみなんしょー。

今日は特に早いな。

おかげさまで、ぐっすり寝てね。

なるほど、それは重畳。

ところでヒナタ。

なんだ？

何か武蔵に吹き込んだ？

いや、特に何も。

あそ。まいいか。

何があった？

ちょっとね……夜這いを。

君がか？　それはまた斬新なことだな。
鳳翔や電にはなんと言うつもりだ？

いやそうじゃなく。

……で、どっちがタチだ？
君が夜這いをしたならば、武蔵がシテか。それもすごい話だな。

いや、そうでもなく。

何だ、武蔵がタチで君がシテか。つまらん。

いやだから、なんでそうなるんだよ。

冗談はこれくらいにしておくとして、武蔵は君のところに行ったのだな。
……で首尾はどうだった？　きちんと君の相手ができたか？

……えーと、途中までまともな話に戻ったと思ったのに、
途中からどうしてそうなった？

なんだ？　要領を得んな。

いやいやいや。そうじゃなくて。

……で、実際はどうだったんだ？

だから最初に言ったじゃない。ぐーっすり寝たって。

……だから、やるべきことをやって、
疲れたからぐっすり眠ったわけではないのか。

違います。ただ単に寝ただけ。
武蔵は体温が高くてね。あと、胸がふかふかだった。

……ますます要領を得ん感じに話が展開しているぞ？

だからー、武蔵と半裸状態では寝た。でもなんにもなかった。ただ寝ただけ。

いや、それは分かっている。

分かってんなら、どうして話を混ぜっ返すかな。

君の反応が面白いからな。

イヤイヤそれ待ってよ

先ほども言ったが、武蔵が君のところに行ったのならば、
それはアイツが自分で考えたことだろう。

ホントに？

隼鷹に相談くらいはしたかもしれんがな。

………。

納得いかんという顔だな。

そりゃね。体はでっかいけど中身はまだまだ子供だと思っていたからね。

子供かもしれんが、子供は確実に成長するからな。
武蔵が成長しない子供であるはずがなかろう。

……それもそうか。

……で、昨日噴き上げていた悩みか不満は解消されたか？

まぁね。ぐっすり寝たらスッキリした。
鹿屋《むこう》に行ってから、睡眠が浅かったのは認めるよ。

それは良かった。寝不足はすべての敵だ。

それは大いに反省しました

ならば良い。
鳳翔と電にも謝っておくといい。
君の不機嫌に付き合う彼女らがとても気の毒だ。

そうします……てか、隼鷹が入ってないね。

武蔵曰く「隼鷹は我が道を行く」そうだ。
おやつを食べ損ねはしていないようだ。

……左様で。

うむ。……では、ここの作業は私に任せて、
今から鳳翔と電のところへ行ってこい。ほら（尻を叩く）

ええー……今から？

善は急げというだろう。ホラ。

……わかった。行ってくる。

……やれやれ、手のかかる司令官だ。
どちらが子供なんだか。