ヒナセと鳳翔・風の帰るところ
ヒナセと鳳翔・風の帰るところ 本文
直進しているように見えるが、実は大きく弧を描きながら、反時計回りに動いている。
指揮艦橋には千歳と、司令官であるヒナセ。ヒナセの傍らに電。
千歳の肩には、使役妖精が乗っている。妖精たちはほかにも多数いる。
『目標、予定海域ニテ、戦闘ニ入リタルヲ確認セリ』
全艦、打ち合わせどおり、哨戒を厳にして行動開始。
手旗に呼応するかのように、艦隊が輪形陣を広げるように動く。
(※1)妖精たちは念話と思われる方法で意思の疎通を行っており、仕えている艦娘の艦内程度の距離ならば、ほぼ瞬時に自由に意思疎通ができる。おかげで妖精同士ならば伝声管は不要。
どうやら仕えている艦娘となら同様のことができるようだが、それはリーダー格の妖精に限られているらしい。
千歳の肩に乗っているのは、このリーダー格の妖精である。
(※2)信号塔にいる妖精は、送信手1人と編成一艦に付き2人の受信手で基本編成される。
送信手は文字通り他艦に、信号旗や信号灯を使って指示を送り、受信手は他艦から送られてくる信号を読み取って記録し、艦橋に報告をする。
今回の場合、ヒナセ艦隊は六艦編成なので、送信手妖精が1、受信手が12、予備員2の15人編成。
大所帯の理由は、リーダー格以外の妖精の情報処理キャパが人間に比べて格段に小さく、マルチ行動はほぼ無理だからである。
艦娘余りしててこんな低レベル海域でドロップする艦なんかいらないから
好きに拾ったらいい…たってさ。心底うらやましいね。
そろそろ戦闘が終わるようです。
ほかの艦からも発見の報告ありません。
艦載機、先行して。なんでもいいから、見つけ次第連絡を。
各艦、各偵察機に連絡。
目標発見時には、信号弾の使用を許可します。
……吉と出ますか、凶と出ますか。
本艦はこれより『神通』と合流。回収作業を開始する
『当該戦闘終了。我ガ軍勝利。敵掃討モ完了』
『神通』へ連絡。発見物の確保・確認を急げ。
その他の艦、哨戒機は、そのまま作戦行動を続行せよ。
神通さんが“装縮”の許可を求めてきています。
目標がそれなりに小さいということになりますね。
当艦は回収準備、急げ。……千歳。
神通さんとも連絡を密に。
そこへヒナセと千歳が来る。千歳は防水ジャケットを着ている。ヒナセはそのまま。
電は同行していない(たぶん、ヒナセの個室に戻っている)
甲板上は喧噪に包まれている。
ヒナセは作業を高所から遠目で見ている。作業が行われている場所まで行かないのは、邪魔になるだけだと知っているから。
救命筏が降ろされ、神通と大勢の妖精たちの手で確保された「それ」が積まれ始める。
作業の指揮を執っていた千歳が、ヒナセのほうを振り返って大声で報告する。
急ぎ引き揚げます。
(制帽で表情は見えにくいが、引き揚げを凝視している様子)
そんなヒナセに驚きながらも、千歳は妖精たちの報告を逐一聞いている。
艦種……軽空母。
艦名……鳳翔!!
そこに必死の形相でヒナセが駆け寄り、跪いて、びしょ濡れになるのも構わず、ドロップ艦をくるんだシートを剥がして、中を覗き込む。
そこには『鳳翔』
ほとんど損傷しておらず、状態は良い(場合によっては資材にするしかない状態でドロップしてくるものもある)
ヒナセは言葉を失って、呆然と鳳翔を見る。
……!……。
鳳翔の視界は、はじめはぼやけきって何も見えず、だんだんとそれが鮮明になっていく。
その中で、ただひとつだけ見えたものは、眼鏡をかけた丸顔の、軍人らしからぬ軍人が、自分を覗き込んでいる様だけ。
……よかった無事で……無茶をしては、駄目ですよ……ヒナコ……さん……
……お……鳳翔《おか…ぁ》……さん……?
ヒナセはただ呆然と、その場に凍り付く。
電はいない。今日の秘書担当艦もいない。
もう、体の方は大丈夫ですか?
……ここは、所属がなくなり、しかしすぐに次の任地に行かせられないほど損傷した艦娘を、艦政部から一時預かって修復し、回復と療養を主任務にしている、鹿屋基地所属の分基地です。
戦闘中に損傷して航行不能になった艦は、すぐに所属艦隊に引き渡しますが、ドロップ艦や漂流艦については、状況状態によっては、当基地でしばらく修理・リハビリをしてのち、鹿屋経由で艦政本部に返却するか、当基地所属艦として残留ということになります。
あ、そうだ、座って下さい(右手でうながす)
……その、事故の――
理由は、練習航海中の事故による沈没……となっています。
鳳翔さん、「トミタ」という名前の学生に、覚えはありませんか?
ただ、あなたを引き揚げた際に、あなたが口にした言葉の意味は何かと
思いまして。
ご結婚、なさったんですね、ヒナコさん。
鳳翔《おかあ》さんに報告したかったんですが、ずっとそのままになって
いました
すぐに海域に出て、そのままです。子供もいません。
やっと、報告できました。ありがとうございます。
あの時、ヒナコさんを助けることができなくて、ずっと悔いておりました。
そしたら、鳳翔さんもみんなも巻き込んでしまうと、思ったんです。
練習弾しか入っていなかったのに。それで十分相手を墜とせると思ったんです。
その過信がゆえの事故です。生きているだけでも上等なんです。
私の右目は、艦娘を再生・修復する技術で作られたものだそうです。
ただ、眼球だけだとうまく焦点位置を合わせられないので、この眼鏡が必要で。
その気になったら、艦娘ほどではないですが、通常の人間よりも遠くのものが見えます。すぐに疲れるし、デメリットの方が多いので、ほとんどその機能は使いませんが。
技術部は、この技術で、事故や戦闘で視力を失った飛行機乗りを救済したかったようですし、索敵時の視力向上も図りたかったみたいです。
ですが、実用化された話は聞きません。私もこの基地を任されると同時に検体をお払い箱になってそれきりなので、それ以後研究が続けられているかどうかは知りません。メンテナンスはしてくれるので、それなりに続けられているのかなとは、推測していますが。……私の話ばかりになってますね、すみません。
これについては、アサカ中将も承知しています。
初期化しても消えることがない艦娘の基本情報……個体番号、建造日、就役から今日《こんにち》まで概要記録等、そのほとんどが消えてしまう。
不思議な現象です。ドロップした時に消えるのか、その前に消えるのかは定かではありませんが、ドロップ艦にほぼ例外なく起きる現象なので、艦政部に申請して新しい個体番号を発行してもらわねばなりません。建造艦であっても個体番号は発行してもらわないといけないので、どのみち申請は避けられないんです。
それで以前、自分の艦にできると思っていた艦娘をいきなり持って行かれたことがありまして。あれはもうイヤだなぁって思っているんです。
……あなたが、私が探していた『鳳翔』でなければ、こんなことはやりません。
今までいろんなことがありましたが、そのたびに運の良さに助けられています。
ですが、この運の良さもいつ枯れてしまうか分かりません。もしかしたら、今回あなたと再会できたことで、なくなってしまったかも。
……だから、手にしたせっかくの幸運は、この手でしっかりと握りしめて、誰にも渡したくないんです
ヒナセの表情から、ヒナセが何を考えているかは、鳳翔には分からない。
ヒナセはただ、三度母を亡くすのはイヤだと考えている。
一人目は実母、二人目はこ飛行学生だった時の練習艦艦娘・鳳翔である。
……あ、それとですね。これは、場合によっては内密にしておきたい話なんですが。
実は、さっき鳳翔さんと入れ違いに出て行った『電』がそうなんですが、あの子は艤装を装着することができないんです。だから艦になれません。海もまだ怖がります。
艦にはなれなくても、私とこの基地にとって、なくてはならない艦娘なんです。
……この話、ほかには、基地専任艦の赤城が知っています。
初期化するもしないも、好きになさって下さい。
二十年ほどかかりましたが、私自身の目的は達せられたので。
それまでは、この基地でのんびり療養するといいかと思います。
ふたりでタオルケットを被って内緒話中。
(補足:この『少年少女文学全集』は、山向こうのヒナセの実家跡地から発掘されたもの。暑い地域なので、家が外に出ている部分よりも地下に埋まっている部分が大きく、その奥下にあった納戸部分がほぼ無傷で残っているらしい)
なんか、別に上書きされてるんじゃないかって、疑っちゃう程度には。
ごめんなさい…なのです。
(ふ、と目を細めて笑い)電ちゃんが、謝ることでは、ないのですよ
あるいは、右に左に…と時々目が動いたり。
目が右を向いている時は何かを思い出したり、記憶を探っている時……。
すごいのです、鳳翔さん。
やっぱりヒナコさんの鳳翔さん……なのです。
電ちゃんも『ヒナコさん』って言うんですね。
なので、お名前で呼んでいいって言って下さったのです。
……でもですね、ヒナコさん、お悩みになっているのです。
鳳翔さんにずーっといて欲しいって、本当は思っているのです。
そういうときはお悩みになってるときなのです。
4年……と、半分くらいなのです。
誰かが作っているの? それともお当番?
そしてあたたかいほうじ茶。
赤城さんに相談して……。
……昔、同じものを頂きましたね……おいしい……です。
(ほうじ茶を手に取って、一気に飲み干そうとするが、むせる)
これ……
奉書があれば良かったんですが、なかったので、お習字紙を。
(眉がハの字に下がりきった情けない顔でしばらく鳳翔を見つめていたが、一度目を瞑り、ゆっくりと目を開ける。飛行学生だった時のヒナセの顔がある)
……自分に嘘をつくところでした。
鳳翔さん、あなたが良ければ、この基地に留まって欲しいです。鳳翔《おかあ》さんが淹れてくれたこのお茶、学生の頃、大好きだったんです。飛行学校をドロップアウトしたあと同じように淹れてみたんです。何度も挑戦したけど、同じ味にならないんです。
実は、飛行学校の教官をやってた時期に、少しの間だったんですが、『鳳翔』に乗り組んでたんです。
その鳳翔さんも同じようにほうじ茶を作ってくれたんですが、味が違うんです。
おにぎりも、味が違うんです。
正直言って、私はその女の子が、いつか戦場の空を駆け巡って、そしてだんだんと荒んでいくだろうことが、辛かったんです。
パイロットを目指す子たちはみんな、純粋に空を飛びたいと思っている子たちばかりですが、どの子も戦場を飛ぶようになると、例外なく目に暗い光を宿すようになるんです。
だから、その女の子が、結局ドロップアウトをしたけれども、士官学校に転科したと聞いて、嬉しかったんです。飛行科から転科の少尉さんは、教官になって戻ってくる可能性が高いので。
………。
とても困惑しました。この方は私の知っているあの子ではないかもしれない……そう思った瞬間もあります。
でも、今目の前にいるその女の子は、確かに私が知っている、あの女の子です。
ヒナコさん……いえ、提督。わたくし、この基地に残りとうございます。
提督のお手伝いをさせていただけませんか?
いつかその女の子の艦のひとりとしてお仕えしたい……というのが、あなたが士官学校に転科したと知った時からの、私の望みだったんです。
はい。了解致しました。
ではお茶も、お淹れしましょうね。
……赤城さんがこの手の管理をしていることに、驚きましたけど。
ウチの赤城だけかもしれませんけど。
こっちのほうが重要事項です!
(ガタン、と立ち上がって、大股で部屋を出て行く)
……提督……(盛大にため息をつく)
いままでずっとそうしていたのです。
そこに鳳翔。
デンは、怖がっていませんでしたか?
あとで謝っておきます。
私が作ってやれるのは、砂糖と醤油の煮っ転がしくらいなんで。