二鷹03
二鷹03 本文
二人きりでいる時、私たちはお互いに『昔の名前』で呼び合う。寒い寒い北の泊地では、夜になると同室の艦娘たちは一つ布団に肌寄せ合って眠るようになる。艦娘は暑さ寒さに適応しやすい機能を備えているけれど、それでも真冬になると、押し入れから出したばかりの布団の中に潜れば、それは氷にように冷たくて。ひとりの体温ではなかなかぬくもらない。寒さに震えながら眠れぬ夜を幾夜も過ごし、体調を崩して任務に支障をきたす艦娘がひとりふたりとあらわれる。新任に多いのもいつものこと。
だから、そうならないように、いつしか自然に艦娘たちは固まって眠るようになる。体の小さな艦《ふね》たちは四人五人と固まって、体の大きな艦たちは仕方がないので二人ずつ。
そのうちに深い仲になる者たちがあらわれる。
私たち姉妹も気がついたらそういう仲になっていた。
やたらと寒い夜だった。
あまりに寒くて、ふたりとも頭から布団をかぶっているのに、いつまで経っても凍えていた。足をからめあいできる限り体を密着させる。それでも寒い。私はカタカタと震えていた。歯の根が合わなくて、力のかぎり歯を食いしばってもカチカチと小さな音が鳴り続いて、どうしても止めることができなかった。
頭の中にカチカチと歯の鳴る音が響いている。私の心は余裕がなくなっていく。きっと彼女にも聞こえている。うるさくて眠れないだろう。早く、早く止めなければ……。
「出雲丸」
真っ暗闇の布団の中、声が聞こえて私の手を包まれた。それは彼女の手。その手も氷のように冷たかった。
はー……と、包み込まれた手に、ゆっくりと息が吹きかけられる。
それがじんわりと温かくて、指先から凍った指が解けていくようだった。ぞくりとした小さな感覚が、体を走る。
何度も何度も息を吹きかけられ、私の指先は、手は、熱を取りもどしていった。
実は彼女が私を『出雲丸』と呼んだのは、それが最初だった。『飛鷹』ではなく、なぜ軍艦になる前の名前を、彼女が口にしたのかは分からない。しかしそれは決して不快ではなくて、より自然なこととして、私の中にするりと滑り込んできた。
だから私も言った。
「橿原丸」
彼女の手が、ぴくり、と動いた。
私の手に体温が戻ってきても、彼女は息を吹きかけ続けた。そしてときおり私の手をごしごしとさすった。彼女の手は、まだ氷のように冷たい。
私は当然のなりゆきのように、彼女の手に、彼女がしてくれたように、ゆっくりと息を吹きかけた。
口の中で出来るだけ熱をためて、それが散ってしまわないように。細心の注意を払って何度も、何度も。
彼女の手が徐々に体温を取りもどしていく。
布団の中は闇だった。闇の中には私たち二人しかいない。
私と彼女のあいだには、緩やかなあたたかい層ができあがっていた。
どちらともなく、絡めた足がもぞりと動いた。布越しの肌は、冷たく氷のようだった。
お互いの足をお互いの足でさするようにゆっくりと動かす。布団の中の空気が動いて冷たかった。足に触る布団も冷たかった。
布団の中で温かいのは、私たちの胸から顔の前だけだった。二人の顔は十センチと離れていない。彼女の顔が動く気配がした。私はその気配のほうに、顔を向けた。
最初に触れたのは、お互いの鼻先。
猫がお互いを確かめ合うために鼻を嗅ぎあうが、私たちもまたお互いの鼻先を数回、押しつけるように触れあった。そしてすぐ目的の場所を触れあった。鼻を押しつけ合ったのは、たぶん、お互いに相手の位置を探るため。目標を違えることなく正確に、お互いをとらえる。
とらえた瞬間、深く深く貪りあった。
そこは、どこよりも熱く、そしてやわらかだった。
凍てつくような夜に、狂おしく熱をむさぼりあった。体は火の玉のようだった。いつの間にか眠りに落ち、そして朝を迎えた。
私たちは二人きりの時には『昔の名前』で呼び合うようになった。
お互いに姉であり妹である私たち。だが、姉妹と言うよりは従姉妹のような関係だった私たち。
何かが多くて何かが足りない。
そんな気持ちを常に持ち続けていた私たち。
だが、あの夜以降、私たちの繋がりは、より深くより強固になったように私は感じている。
海の上で、彼女は私に振り返る。私は彼女に振り返る。
無言で互いに笑いかける。
それで十分。
それ以上の言葉はいらない。
あなたがいればそれでいい。
私はどこまでも飛んでいける。